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2019年02月18日10:42

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『史記』袁盎鼂錯列伝

袁盎は楚の人也。字は絲。父は故群盜為り。徙りて安陵に處る。高后の時、盎嘗て呂祿の舍人と為る。孝文帝位に即くに及び、盎の兄噲、盎を任じて中郎と為す。絳侯丞相為り。朝罷み趨り出づるに、意得ること甚だし。上、之に禮すること恭しく、常に自ら之を送る。袁盎進みて曰く、「陛下以うに、丞相は何如なる人ぞ。」上曰く、「社稷の臣なり。」盎曰く、「絳侯は所謂功臣にして、社稷の臣に非ず。社稷の臣は主在せば與に在り、主亡ぶれば與に亡ぶ。呂后の時、諸呂事を用い、擅に相王たるに方り、劉氏絕えざること帶の如し。是の時絳侯は太尉為りて兵柄主どるも、正すこと能わず。呂后崩じ、大臣相與に共に諸呂に畔く。太尉兵を主り、適々其の成功に會う。所謂功臣にして、社稷の臣に非ず。丞相は主に驕る色有るが如く、陛下は謙讓す。臣主、禮を失う。竊かに陛下の為に取らざるなり。」後、朝するに、上益々莊かに(索隠:莊は、厳なり)、丞相益々畏る。已にして絳侯、袁盎を望みて曰く(正義:望は、怨なり)、「吾、而の兄と善し、今、兒、我を廷毀す。」盎遂に謝せず。絳侯、相を免ぜられ國に之くに及び、國人上書し、告ぐるに反を為すを以てす。徴されて清室に繋がる(集解:『漢書』は「請室」に作る、應劭曰く、請室は、罪を請うの室、役人を入れる監獄)。宗室・諸公敢て為に言うもの莫し。唯だ袁盎のみ絳侯の罪無きを明らかにす。絳侯釋さるるを得たるは、盎頗ぶる力有り。絳侯乃ち大いに盎と交りを結ぶ。
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