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2019年02月02日10:26

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『孫子』巻六虚實篇

                      巻六 虚實篇
孫子は言った、およそ敵より先に戦場に到着して敵を待ち受けるものは、余裕があり戦いを有利に進めることが出来る。反して敵より遅れて戦場に到着したものは、余裕がなく不利な戦いを強いられる。だから戦争の上手な者は、敵を招き寄せて疲れさせるのであって、こちらから出かけて余裕をなくすようなことはしない。敵を引き寄せる為には、自分が有利だと思わせることだ。敵が先に有利な地を占めないようにするには、それを妨害して不利だと思わせることだ。だから敵に余裕があるようなら、手段を用いて敵を疲れさせ、敵の食糧に余裕があるなら、手段を用いて食糧不足にさせ、敵が安心しているようなら、手段を用いて動揺させ、敵が来そうな所は先回りして待ち伏せし、敵が思ってもいない所に打って出る。このように戦えば、千里の遠い道を進んでも苦労しないのは、無人の地を行くようなものであるからだ。攻めて必ず敵陣を奪い取るには、守っていない所を攻めればよい。守備が堅く破られないためには、敵が攻めない所を守ればよい。だから攻めるのが上手な者が攻撃すると、敵はどこを守備すればよいか分からないし、守備が巧みな者が守ると、敵はどこを攻撃したらよいのか分からない。分からない、分からない、敵が気づかない陣形、神妙に、神妙に、敵に気づかれないように音を立てない。だから敵の運命・生死を握ることが出来る。進撃して敵が防ぎきれないのは、守備の薄い所を攻めるからであり、退却して敵が追撃できないのは、退却が迅速で敵が追い付くことが出来ないからである。だから我が軍が敵と戦うことを望めば、たとえ敵が砦の壁を高くし堀を深くして守備を固めても、我が軍と戦わざるを得なくなるのは、敵が守り通さなければならない所を攻めるからだ。こちらが戦いたくないと思ったら、守備陣地は簡単にして、敵が攻めて来れば素早く陣地を空にして移動して敵の目をごまかすのである。敵の態勢を有形で固定化させ、我が軍は無形で変幻自在にしておけば、味方の力は集中し、敵の力は分散される。我が軍の力が集中されて一丸となり、敵の力が分散されて十になれば、我が軍は十倍の力で敵の一つを攻めることになる。これは我が軍が多く、敵軍が少ないのと同じで、多数を以て少数を撃てば、少ない力で多くの功績をあげることが出来る。何れの地に於いて戦わんとするかを相手は知ることができない。知ることが出来なければ、防備する場所が多くなる。分散して多くの場所を守れば、我が軍に対する兵力は少なくなる。すなわち前方を固く守れば後方が手薄になり、後方に備えれば前方が手薄になり、左方を固く守れば右方が手薄になり、右方に備えれば左方が手薄になる。すべての場所を守るということは、全ての場所が手薄になるということである。兵数が少ないのは、分散して多くの場所を守るからであり、兵数が多いのは、敵兵は分散させて、我が軍は一丸となって当たるからである。従って敵に先んじて戦いの地を知り、戦いの日を知っておれば、たとえ千里の遠い地に遠征しても勝つことが出来る。だがそれに反して、どこで戦うのか、どの地で戦うのかを知らなければ、左陣の部隊は右陣の部隊を救援することが出来ないし、右陣の部隊は左陣の部隊を救援することが出来ないし、前陣の部隊は後陣の部隊を救援することが出来ないし、後陣の部隊は前陣の部隊を救援することが出来ない。まして遠い所では数十里、近い所では数里の所まで救援に出かけることはなおさらできない。私が考えますに、越国の兵が多いからと言って、それがどうして勝敗に有利になると言えるでしょうか。だから言うのです、勝利は作り出すものである、敵兵が多ければ分散させて我が軍と戦う気を起こさせないようにするのだ、と。それ故に敵情をよく観察して得失の計を知り、それに基づいて働きかけて敵の動静を知り、敵に陣形を取らせて敵陣の厚い所、薄い所を把握して、彼我の力を比べて有余不足の所を知る。だから軍の最上の形は敵が窺い知ることができないようにその形を無くすことである。形が無ければ、深く潜入した敵の間者もこちらの計画を窺い知ることができないし、敵の智者も作戦を練ることができない。敵の陣形により我が兵力を配置して勝を制するが、兵士たちは何故勝つことができたのかは知らない。勝った軍形は知っているが、何故その軍形にしたのかは知らない。だから勝ったからと言ってその軍形を再び取ることはない。軍形は敵の変化に応じて無限に生ずるものである。軍の形というものは、水の形と同じである。水は様々な形をとって高い所を避けて低い所に流れていく。軍形も敵の厚い所を避けて、薄い所を攻める。水は地形によってその流れを変える。軍は敵に因って勝ち方を変える。だから軍は敵に対して一定不変の勢いを取ることが無く、水には一定不変の形はない。敵に応じてさまざまに変化して勝を治める者は、まさに神といえるだろう。それはまた宇宙の五行の働きにも似ている。木・火・土・金・水の五行が相克して万物の変化を生み、四季も春・夏・秋・冬とめぐり常に変化し、日の長さも常に変化しており、月も満ちたり欠けたりして、常に変化している。

孫子曰、凡先處戰地而待敵者佚、後處戰地而趨戰者勞。故善戰者、致人而不致于人。能使敵人自至者、利之也。能使敵不得至者、害之也。故敵佚能勞之、飽能飢之、安能動之。出其所必趨、趨其所不意。行千里而不勞者、行于無人之地也。攻而必取者、攻其所不守也。守而必固者、守其所不攻也。故善攻者、敵不知其所守。善守者、敵不知其所攻。微乎微乎、至于無形。神乎神乎、至于無聲。故能為敵之司命。進而不可禦者、衝其虚也。退而不可追者、速而不可及也。故我欲戰、敵雖高壘深溝、不得不與我戰者、攻其所必救也。我不欲戰、雖畫地而守之、敵不得與我戰者、乖其所之也。故形人而我無形、則我專而敵分。我專為一、敵分為十。是以十攻其一也。則我衆而敵寡。能以衆撃寡、則我之所與戰者約矣。吾所與戰之地不可知。不可知、則敵所備者多。敵所備者多、則我所與戰者寡矣。故備前則後寡、備後則前寡、備左則右寡、備右則左寡。無所不備、則無所不寡。寡者、備人者也。衆者,使人備己者也。故知戰之地、知戰之日、則可千里而會戰。不知戰地、不知戰日、則左不能救右、右不能救左、前不能救後、後不能救前。而況遠者數十里、近者數里乎。以吾度之、越人之兵雖多、亦奚益于勝敗哉。故曰、勝可為也。敵雖衆、可使無鬭。故策之而知得失之計、作之而知動靜之理、形之而知死生之地、角之而知有餘不足之處。故形兵之極、至于無形。無形、則深間不能窺、智者不能謀。因形而措勝于衆。衆不能知。人皆知我所以勝之形、而莫知吾所以制勝之形。故其戰勝不復、而應形於無窮。夫兵形象水。水之形、避高而趨下。兵之形、避實而撃虚。水因地而制流、兵因敵而制勝。故兵無常勢、水無常形。能因敵變化而取勝、謂之神。故五行無常勝、四時無常位、日有短長、月有死生。

孫子曰く、凡そ先に戰地に處りて敵を待つ者は佚し、後れて戰地に處りて戰に趨く者は勞す。故に善く戰う者は、人を致して人に致されず(注1)。能く敵人をして自ら至らしむるは、之を利すればなり(注2)。能く敵人をして至るを得ざらしむるは、之を害すればなり(注3)。故に敵佚すれば能く之を勞し、飽けば能く之を飢えしめ、安んずれば、能く之を動かす。其の必ず趨る所に出で、其の意わざる所に趨る(注4)。千里を行きて勞せざるは、無人の地を行けばなり。攻めて必ず取るは、其の守らざる所を攻むればなり。守りて必ず固きは、守其の攻めざる所を守ればなり。故に善く攻むる者は、敵、其の守る所を知らず。善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず。微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無聲に至る。故に能く敵の司命を為す(注5)。進みて禦ぐ可からざるは、其の虚を衝けばなり。退きて追う可からざるは、速にして及ぶ可からざればなり。故に我戰わんと欲すれば、敵、壘を高くし溝を深くすと雖も、我と戰わざるを得ざるは、其の必ず救う所を攻むればなり(注6)。我戰を欲せざれば、地に畫して之を守るも(注7)、敵、我と戰を得ざるは、其の之く所に乖けばなり(注8)。故に人を形せしめて我無形なれば、則ち我專にして敵分る(注9)。我專にして一と為り、敵分れて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり。則ち我衆くして敵寡し。能く衆を以て寡を撃てば、則ち我の與に戰う所の者は約なり(注10)。吾が與に戰う所の地、知る可からず。知る可からざれば、則ち敵の備うる所の者多し。敵の備うる所の者多ければ、則ち吾が與に戰う所の者寡し。故に前に備うれば則ち後ろ寡く、後ろに備うれば則ち前寡く、左に備うれば則ち右寡く、右に備うれば則ち左寡し。備えざる所無ければ、則ち寡からざる所無し。寡きは、人に備うる者なり、衆きは、人をして己に備えしむる者なり(注11)。故に戰いの地を知り、戰いの日を知れば、則ち千里にして會戰す可し。戰いの地を知らず、戰いの日を知らざれば、則ち左は右を救うこと能わず、右は左を救うこと能わず、前は後ろを救うこと能わず、後ろは前を救うこと能わず。而るを況んや遠きは數十里、近きは數里なるをや。吾を以て之を度るに(注12)、越人の兵多しと雖も、亦た奚ぞ勝敗に益あらん。故に曰く、勝ちは為す可きなり。敵衆しと雖も、鬭うこと無からしむ可し、と。故に之を策りて得失の計を知り(注13)、之を作して動靜の理を知り、之を形して死生の地を知り(注14)、之を角りて有餘不足の處を知る(注15)。故に兵を形するの極は、無形に至る。無形なれば、則ち深間も窺う能わず、智者も謀る能わず。形に因りて勝を衆に措く。衆知る能わず。人皆我が勝つ所以の形を知りて、吾が勝を制する所以の形を知る莫し。故に其の戰いに勝つに復びせずして、形を無窮に應ず。夫れ兵の形は水に象る。水の形は、高きを避けて下きに趨き、兵の形は、實を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に兵は常勢無く、水は常形無し。能く敵に因りて變化し、而して勝ちを取る者は、之を神と謂う。故に五行に常勝無く、四時に常位無く、日に短長有り、月に死生有り。

<語釈>
○注1、十注:梅堯臣曰く、能く敵をして來らしめば、則ち敵勞す、我往きて就かざれば、則ち我佚す。○注2、十注:李筌曰く、利を以て敵を誘えば、適は則ち遠きよりして至るなり。○注3、十注:梅堯臣曰く、敵、來るを得ざらしむるは、當に之を制する害するを以てすべきのみ。○注4、「出其所必趨」は原文では「出其所不趨」に作るが、孫星衍が上文の注や『御覧』などにより、「出其所必趨」の誤りであるとし、これに従う者は多い。上文の曹公の注に、其の必ず愛しむ所を攻め、其の必ず趨る所に出でれば、則ち敵をして相救わざるを得ざらしむとある。よってこの説により改めて解釈した。○注5、司命は、人の運命生死を司る神の名、又は星の名、ここでは運命・生死のこと。○注6、十注:曹公・李筌曰く、其の糧道を絶ち、其の帰路を守り、其の君主を攻むるなり。梅堯臣曰く、其の要害を攻むるなり。適がどうしても守り通さなければならない所を攻めれば、敵は出てきて戦わざるを得ない。○注7、十注:孟氏曰く、物を以て地を畫して守るは、其の易きを喩うるなり。簡易な守りの陣地のこと。○注8、十注:張預曰く、營壘の固きを為さずと雖も、敵必ずしも敢て來りて我と戰わざるは、示すに疑形を以てし、其の往く所に乖けばなり。○注9、十注:梅堯臣曰く、他人、形有りて、我が形は見わさず、故に敵、兵を分けて、以て我に備う。有形は固定的であり、無形は変幻自在。○注10、十注:杜牧曰く、「約」は、猶ほ「少」なり。「我之所與戰者約矣」の解釈には二通りある、十注の多くは我が軍の力が少なくて済むの意に解釈しているが、わが国では、相手の力が少ない、貧弱である意に解するものが多い。私は張預の注、「夫れ勢い聚まれば、則ち彊く、兵散れば、則ち弱し、衆彊の勢いを以て、寡弱の兵を撃てば、則ち力を用うること少なくして、功を成すこと多し。」を採用する。○注11、十注:張預曰く、左右前後、處りて備えを為さざる無ければ、則ち處りて兵寡からざる無し、寡き所以は、兵分かちて廣く人に備うればなり、衆き所以は、勢い專らにして、人をして己に備えしむるが為なり。○注12、私、孫武が考えますに、という意味である。「吾」は「呉」の誤りであるとする説もある、その方が理解はしやすいが、取り敢えず前者の説に従っておく。○注13、十注:張預曰く、敵情を籌策し、其の計の得失を知る。他に諸説が多いが張預の説を採用した。○注14、服部宇之吉氏云う、両軍相対して我能く敵陣の力薄き處と厚き處とを知る、是れ死性の地なり。○注15、王諏く、角は、相角(はかる)るを謂うなり、彼我の力を角れば、則ち有余不足の處を知る、然る後以て攻守の利を謀る可し。

<解説>
十注:杜牧曰く、夫れ兵は實を避け虚を撃つ、先づ須からく彼我の虚実を識るべし。彼我の虚実を知って、実を以て敵の虚を撃つということであるが、それだけでなく、李筌曰く、善く兵を用うる者は、虚を以て實と為し、善く敵を破る者は、實を以て虚と為す、とあるように虚を実に見せ、実を虚に見せるという、虚々実々の駆け引きが大切であるということである。結局だましきった者が勝つのである。

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