ドライゼの銃が世に出たのは1841年。プロイセンとドイツの戦争で、その優秀性が欧州に知れ渡ったのが1866年。この間26年、イギリス、フランスそしてアメリカではどういった銃が登場していたのだろうか。この時期に登場した銃として、最も有名な銃と
スクリュー式蒸気船の性能を確かめるため、イギリス海軍はある実験を行った。同程度の排水量で、同じ馬力の蒸気機関を装備した2隻の船、片方が外輪船で片方がスクリュー船。この2隻を競わせたのである。色々な条件下でレースをしたが、いずれもスクリュー船
19世紀は大砲にとって重要な発明がいくつかされた時期である。カノン砲で榴弾が撃てるようになったペクサン砲もその一つ。次にやってきたのはライフル砲の普及である。ライフルの効果はとっくの昔に知られていたし、小銃ではライフルド・マスケットもすでに
プロイセンの鉄血宰相ビスマルク。彼の外交政策は一に戦争、二に戦争、三四が無くて五に戦争、というものだった。とにかくいかなる外交問題に関しても、戦争で決着をつける、というのがそのスタンスである。1866年、プロイセンとドイツの間で戦争が始まっ
撃針を使った撃発機構と、ボルトアクションによる後装式、という2つの新機軸を取り入れた画期的なドライゼの銃はしかし、他の欧米列強からは評価されなかった。理由はいろいろある。まず一つ目はヨーロッパの片田舎である、東欧の新興国家プロイセンというこ
パーカッションロック式の出現で、撃発方式は雷管を使うやり方に変わっていった。雷管を使うのは現在でも同じである。欧米列強各国の銃は、フリントロック方式の銃をもとにパーカッションロック式に改造した銃ばかりだった。フリントロック式の銃は、ハンマー
19世紀には蒸気船が登場し、軍艦に一大変革が訪れる。これに伴い軍艦の艦種も大きく変わった。例えば、帆船の時代には戦艦と呼ばれるものは無かったが、日露戦争や第一次世界大戦の頃には戦艦が艦隊の花形となっている。帆船時代の軍艦の艦種をここで書いて
軍艦史でも書いたが、猛烈な威力を発揮したペクサン砲。当初は艦載砲でしか使えなかったペクサン砲用の砲弾だが、やがて野戦砲でもこの砲弾が使えるものが作られた。それがこの12ポンドナポレオン砲である。12ポンドナポレオン砲は、青銅製の前装式滑腔砲
イギリスはベイカー銃を開発し、ライフル連隊という部隊を編成して使用した。その有効性は地上戦においては無敵であった、ナポレオンの軍隊を打ち破ったことで証明された。そのベイカー銃に対しても改良が施されることになった。パーカッションロック方式にす
蒸気機関の登場は船にとって大きな進歩をもたらした。それまでの帆船だと、航行は風任せの部分が大いにある。商船の分野では、常に一定の速度で航行できる蒸気船の登場は、運送にかかる日数などを計算できるようになるため、メリットは大きかった。しかし軍艦
銃の撃発機構は、マッチロック式いわゆる火縄銃に始まり、続いてライターの着火方式と同様のホイールロック、そして燧石を使うフリントロック式と移り変わった。そして19世紀に入ると、パーカッションロックという方式が開発される。強い衝撃を与えると発火
大砲の素材について書いておこう。大砲の砲身は、内部で多量の火薬を燃焼させるため、強い衝撃と高熱にさらされる。そのため砲身の材質はかなり強いものが必要だ。一番最初は木が使われた。丸太をくりぬいて砲身とした。しかし木材にそれほどの強度は無い。使
軍艦史で一つ書き忘れたことがあるので、ここで書いておきたい。時代は1775年のアメリカに遡る。合衆国の独立宣言が1776年、まさに独立戦争の真っ最中である。イェール大学の学生、デヴィッド・ブッシュネルが発明した新兵器「潜水艦」だ。とは言って
さてさて軍艦史の方も再開しちゃおう。こっちのほうは、19世紀にペクサン砲という強力な艦載砲が発明された、というところまで書いた。ペクサン砲が実戦でその威力を見せつけたのが1853年のシノープの海戦である。この海戦はロシアとオスマン・トルコの
18世紀までの大砲は、運用上の違いから3つに大別できると思う。まずは要塞砲、沿岸砲のように砲台に固定されているもの。動かす必要が無いから、大型重量級の臼砲やカノン砲が使用される。当然威力も大きくなる。ケースによっては、戦場に運ばれて使用され
さて中断されていた大砲の話も再開してしまおう。これまでの大砲の歴史をまとめると、火薬の力で砲弾を飛ばすものは、中国の宋の時代に作られたとされる。それが14世紀、モンゴルの遠征によってヨーロッパに伝えられた。以降、大砲の発達はヨーロッパにおい
フランスでデルヴィーニュがライフル銃の改良に取り組んでいたのと同じ時期、イギリスではジョン・ノートン大尉がまた別の観点からの改良に取り組んでいた。ノートンは植民地であるインドに勤務していた次期があった。その際に現地人が使用する吹き矢を知るこ
マスケットが主流だったこの頃は、ライフル銃最大の課題は、弾込めが面倒で手間がかかることだった。麻布や油紙などのパッチを使って、銃の口径よりもほんの少しだが、直径が大きい状態の弾を押し入れるわけだ。こいつをどうにかして改善しようとしたのが、フ
18世紀末から19世紀前半にかけて、マスケット銃はライフルが切られているタイプと、切られていない、いわゆるスムースボアタイプが併用されていた。両者の特徴と使われ方について書いておきたい。ライフル銃のメリットは何と言っても、有効射程距離の長さ
エゼキエル・ベイカーの設計案は、ブラウン・ベスと同じく75口径で、銃身長は32インチ。そこの8条のライフリングが彫られているものだった。しかしながら、生産開始までに何点か修正が施されている。最終的に1800年生産開始モデルは、口径が65口径
イギリスはアメリカ独立戦争で、ライフルド・マスケットによって痛い目にあった。またヨーロッパでは、ナポレオンがプロイセンの猟兵戦術をさらに洗練させ、戦術として確立した。この戦術を駆使してフランス革命後の戦争で、瞬く間にヨーロッパを席巻した。ナ
アメリカ独立戦争で、ドイツからの移民がライフルド・マスケットを使用して、勝利に貢献した。しかしもともと、移民元であるドイツでは、ライフルド・マスケットは高性能な猟銃として製造されていたのである。こうした銃の製法は、当時ドイツを中心とした職人
ライフルド・マスケットが活躍した、ということが明確になっている最初の戦争が、アメリカ独立戦争である。前に書いた通り、この戦争ではイギリス側もアメリカ側も、ブラウン・ベスを主力の銃としていた。アメリカ独立戦争では、合衆国正規軍の他にも、民間人
ここまで紹介した銃はいずれもスムースボア、つまりライフリングが施されていない銃である。銃身内部にライフリングを刻むのは、弾丸射出時に高速回転を与えることで、ジャイロ効果による弾道安定効果を得るためである。この原理は意外と古く、15世紀には既
江戸時代の日本においては、幕府に許可なく銃を製造するというのも禁止されていたし、幕府も新しい銃を開発することも無かったので、銃の進歩というのは無かった。しかし時代が進み、外国船の来航などが多くなってくると、国防というのを意識する人も出た。そ
フランスがシャルルヴィル・マスケットなら、そのライバルであるイギリスは、このブラウン・ベスである。この銃は1722年にイギリス軍の標準銃となった。フランスがシャルルヴィル・マスケットを標準としたのが1717年だから、遅れること5年だ。フラン
18世紀には、マスケット銃が軍の主力武装となった。ヨーロッパでは各国がマスケット銃の量産を目指した。18世紀と言えば、英仏激突の世紀である。スペイン、神聖ローマ帝国など過去の強国はすでに没落していた。イギリスとフランスは、ヨーロッパにおいて
火縄銃からフリント・ロックへと方式は変わった。この時代の銃は全てマスケット銃、と呼ばれる。マスケットの定義は「マズルローダーのスムースボア方式銃」となる。マズルローダーとは、弾と火薬をマズルつまり銃口から込める、という意味である。現代のライ
火縄銃は英語ではマッチ・ロックという。ロックというのは、火薬へ点火することをいう。マッチは火縄だ。この方式の難点は、あらかじめ火縄に火をつけておく、といった準備が必要で、これが面倒なこと。そして何よりも雨や湿気に弱いということだった。17世