三「ついに旅順を攻略した日本軍、いっぽうそのころ北東方面では沙河で日本の主力部隊 と、ロシア軍主力部隊が厳冬のなか睨み合いの様相を呈していた」歩「ロシア軍の指揮官クロパトキン大将は、冬の間積極的攻勢に出ることは無かったのデ スが、逆にあ
三「乃木大将率いる第三軍の旅順攻略戦を総括してみよう」榴「純粋に軍事的な面から、この攻略戦を振り返ってみると、実に理にかなった戦術が採 用されていることに気づきマス。乃木・伊地知両名は名参謀と言って良いでしょう」歩「まず第1回目の攻撃。こ
三「それからもう一つ、『陸軍悪玉・海軍善玉論』というのが、戦後のある時期から広ま ったことも影響しているじゃろう。これには日本政府およびアメリカ政府の意向も少 なからず関係しているぞ」榴「その原因は自衛隊の創設にありマース。朝鮮戦争が起
三「旅順攻略戦の第三軍と言えばさ、司令官の乃木大将と参謀長の伊地知少将。この2人 は日本国内では愚将、無能のレッテルを貼られているよね」歩「海外での評価は正反対なんですけどね。特にロシアでは乃木将軍は最も有名な日本人 と言っても良いんじ
三「二百三高地は日本軍が制圧するところとなった。すぐに着弾観測所が設置され、28 センチ榴弾砲による旅順への砲撃が行われたのじゃ」榴「旅順艦隊はこの砲撃によって壊滅させられた、ということになっていますね」歩「しかし実際は黄海海戦で敗れてこ
三「そんなわけで旅順攻略戦中、最大の激戦地となったのが二百三高地じゃ」歩「11月27日から日本軍の攻撃が開始された。28日にはいったん日本軍が、二百三 高地山頂を制圧。しかしすぐにロシア軍が逆襲し、奪還しマス」榴「激しい攻防は一進一退の様
三「11月27日、乃木大将は主攻撃目標を二百三高地に変更する決定を下した。狙いは ロシア軍の人的損耗で、それによって要塞の抵抗力を減らし、東北正面からの要塞攻 略を容易にする、という事じゃ」歩「この時、児玉源一郎は乃木大将に会いに行き、
歩「要塞などの堅固な敵陣地を攻略するには、2通りの手段がありマス。1つは防御陣地 を物理的に破壊してしまう方法デス。空爆で破壊するとか戦車で踏み潰すとか」榴「日露戦争時点では飛行機も戦車も存在しない。唯一の手段は砲撃だけど、28センチ
三「海軍および大本営からの二百三高地攻略要請を、頑として受け付けない満州軍総司令 部。児玉源太郎大将が直々に反論した記録が残されている」歩「いっぽう海軍と大本営も簡単には譲らない。東京では11月14日に御前会議まで行 い、二百三高地攻略
三「10月26日からの旅順要塞攻撃は、ロシア側に日本側を上回る損害をもたらしなが らも、要塞本体の攻略という点では、大きな前進が無いままに終わった」榴「この結果に合わせて、10月16日にバルチック艦隊が極東に向けて出航した、とい う情報
三「沙河会戦での日本側の死傷者は20500。ロシア側の死傷者は41000。相手に 2倍の損害を与えて陣地を守り通したのだから日本側の勝利と言って良いじゃろう」歩「この沙河会戦が行われたのが10月9日からでしたが、満州の地には早くも冬が訪れ
三「ロートル寄せ集めの梅沢旅団。3倍以上の数で押し寄せるロシア軍。どう考えてもボ コボコにされて終わり、という感じだが凄まじい頑張りを見せ、何と撃退した」歩「梅沢旅団の強さの秘密。戦後に語られたところによると、まず兵に自信を持たせる。
三「10月6日、沙河にて日本軍とロシア軍が対峙。日露戦争において初めて、ロシア軍 が攻める側、日本軍が守る側という立場になった戦闘じゃ。攻めるロシア軍は22万 守る日本軍は12万と数的劣勢。そのうえ日本軍は砲弾の残りが僅かしかない」歩「
三「さて遼陽会戦の結果、遼陽を放棄して奉天まで退却した、ロシア軍じゃが」榴「クロパトキン大将は遼陽で頑張れば頑張れたけど、もともと彼の戦略というのが戦い ながら後退し、満州奥地まで日本軍を引きずり込み、シベリア鉄道で送られてくる増 援部
歩「第三軍の兵が工夫して造り出した迫撃砲。その意図は塹壕内に身を隠したまま、地上 の敵を攻撃することデシタ。高い射角を取る迫撃砲ならば、塹壕内に居ながらにして 地上の敵を攻撃することができるわけデスヨ」榴「砲自体は木または竹で造っていま
三「10月16日、バルト海に面するリバウ軍港から、バルチック艦隊が出港した」榴「普通こういうことは公表したりはしないものだけど、ロシアはあえて世界に向けて大 々的に発表したので、たちまちのうちに日本の知るところとなったのデス」歩「あえて発
三「というわけで届けられた28センチ榴弾砲。乃木大将は早速こいつを実戦投入した」榴「そうは言うけど、それほど簡単や無いで。もともと要塞にガッチリ固定されて使うこ とを想定されて造られている砲や。この前線でどうやって固定するのか。日本軍には
歩「9月19日、第三軍中の第1師団と第9師団による攻撃が開始された。攻撃目標は水 師営堡塁と龍眼北方堡塁。それと二百三高地の3つじゃ」三「水師営両堡塁と龍眼北方堡塁というのは、地図上で見てもわかる通り、ロシア軍陣地 の中でも北方に突出し
榴「旅順第1回総攻撃の後、それぞれの陣営がどのような戦術を主張していたかだけど」歩「まず満州軍総司令部と第三軍は、第1回と同じく正面からの攻撃、ですね」三「海軍はこの時点ではまだ何も言っていない。海軍が二百三高地攻撃を強く主張するよ うに
歩「さてさて第1回総攻撃に失敗した後の旅順攻略戦の状況デス」榴「第1回総攻撃の唯一の戦果と言えるのが、盤龍山堡塁を占領したこと。乃木大将はこ の盤龍山堡塁から、敵トーチカ前面まで塹壕を掘り進む作戦に切り替えようとしまし た。8月30日に
三「第一軍の活躍でなんとか遼陽を占領することができた日本軍。しかしおよそ十日間に わたる激闘で、兵は消耗しておったし弾薬も尽きていた」榴「本来ならば撤退して行くロシア軍を追撃したいところですが、このような事情もあり 追撃はできませんでし
三「突撃バカの満州軍総司令部のせいで、左翼の第二軍と第四軍は大ピンチに陥った」榴「事あるごとに突撃、突撃って、まるで知波単学園みたいなヤツラですな」歩「まあ知波単のバヤイ、突撃して潔く散る!というのが伝統だそうですからなあ」三「戦車道ならそ
三「日本軍12万5千、ロシア軍15万5千の激突となった遼陽会戦。左翼の第二軍、中 央の第四軍はロシア軍と互角の戦い。右翼の第一軍は夜襲に成功」榴「これによりロシア軍の左翼は押し込まれる形となり、これを知ったロシア軍司令官の クロパトキン
歩「第三軍が旅順要塞への第1回総攻撃を強いられて、大損害を被っていたころ、北方の 満州ロシア軍の拠点遼陽では、一大決戦の幕が切って落とされようとしていたデス」榴「8月24日から始まった遼陽会戦ですな。陸軍にとっては旅順攻略などはオマケみた
三「ヨーロッパでは擲弾は、擲弾兵と呼ばれる専門の部隊が扱う兵器じゃった」歩「擲弾をより遠くへ投げるには、腕力とともに技術が必要。それに投げるタイミングに よっては自分自身が損害を被るし、そもそもそんな距離まで敵に近づくことがすこぶ る危
三「第1回旅順総攻撃の結果が日本国民に伝わると大変な騒ぎになった」榴「まあ国民にしてみれば、旅順は日清戦争での経験から容易く落ちるハズ、と思ってい たところが万を超える死傷者を出して、攻撃失敗という結果になったわけだから」歩「国民の怒りの
歩「2日間にわたった大事前砲撃の後、いよいよ歩兵部隊が旅順要塞へ突撃を敢行!」榴「あんだけ砲弾を叩き込んだのだから、さすがにさしたる抵抗も無く攻略できるだろう と、日本側は思うておりました。ところが・・・」三「ロシア軍のトーチカは健在じゃ
三「黄海海戦と蔚山沖海戦の2つの海戦の話をしたが、結果的に旅順艦隊とウラジオスト ック艦隊は、ここで無力化されている」榴「なので旅順を無理して落とす必要は実はこの時点で無くなっていたんですな」歩「しかし日本側からはそんなことはわからない。
歩「旅順艦隊のお出迎えという形で朝鮮近海まで来ていたウラジオストック艦隊を、つい に第二艦隊が発見し補足することに成功したのであります!」榴「第二艦隊の面々からしてみれば、もう宿敵というかね、お前らのせいで俺達は!って 感じだから、もう