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2020年07月07日07:25

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シチリア史(36)

この時のローマ教皇はグレゴリウス7世。非常に有名な教皇である。当時の神聖ローマ帝
国皇帝ハインリヒ4世との対立は「カノッサの屈辱」の逸話も含めて良く知られている。
カノッサの屈辱で勝ち誇ったグレちゃん。ハインリヒなんて失脚させたる!と調子こく

シュヴァーベン大公ルドルフという人を「ローマ王」として認定してしまう。ローマ皇帝
とローマ王が同時に居るとかあり得んし。ハインリヒ君激おこでルドルフと激突!この戦
いはルドルフ有利に進む。ハインリヒ君ピンチ!しかしルドルフが急死してしまう

戦いで受けた傷が悪化しての死と言われているが疑わしい。ハインリヒ君が放った忍者に
よる暗殺かもしれん。西洋だから忍者じゃなくてアサシンか。ハインリヒ君の怒りは収ま
らず、ローマに攻め込みグレちゃんの城を取り囲んだ

グレちゃんピーンチ!というところでロベルトさんにヘルプ依頼が舞い込んだというわけ
だ。ロベルトさん慌ててイタリアに舞い戻りグレちゃん救出に向かう。ハインリヒ4世軍
を追い払いグレちゃんを自らの領地に匿った

その後ロベルトさんは神聖ローマ帝国に侵入して荒らしまくる。教皇猊下に弓を引くとは
何事じゃゴルァ!というわけである。その後また東ローマやっちゃおうというわけでバル
カン半島へ渡ったが熱病により死去。これが1085年のこと

この頃にはイタリア半島南部とシチリアの大半はノルマン人の支配下に入っていた。シチ
リアを任されていたルッジェーロの息子であるルッジェーロ2世が1130年にシチリア
王の称号を与えられたことで「シチリア王国」が成立したのであった

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