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2020年07月05日07:59

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シチリア史(34)

ノルマン人はシチリアだけでなく南部イタリアでも大暴れする。11世紀当時のイタリア
はローマより北については神聖ローマ帝国の支配下だった。ローマ近辺は教皇直轄領だっ
た。そしてそれより南となると名目上は東ローマ帝国領だが事実上はバラバラだった

色んな領主が領地を支配していた。東ローマ配下の領主も居た。ゲルマン民族系これは主
にランゴバルド人とされているがそうした領主も居た。イスラム系の領主も居た。ノルマ
ン人傭兵を雇っていたのは主にランゴバルド系の領主だ

宗教という点から考えるとランゴバルド人領主はカトリックなのでローマ教皇を仰いでい
る人達だ。東ローマ系領主はもちろんギリシャ正教でコンスタンティノープル大司教を仰
いでいる。イスラム系領主はいうまでもなくイスラム教徒である

ノルマン人もカトリックに帰依していたわけだから必然的にランゴバルド側についたとい
うわけだな。ノルマン人にボコられたイスラムや東ローマ勢はどうしたか。イスラムの場
合だが本国のイスラム帝国では革命や内紛で忙しくて援軍とか出す余裕が無かった

東ローマはそんなことは無くて当然援軍を送ってきてノルマン人とやりあう。これをノル
マン・東ローマ戦争と呼んでいる。東ローマがガチ全力でやればノルマン人と言えどもさ
すがにかなわなかったかもしれない。しかしこの時期東ローマには別の敵があった

トルコ人がトルコに攻めてきたのである。何言ってんだ?という感じだが、今我々がトル
コ人と呼んでいる人達は必ずしも大昔からあそこに住んでいた人たちではないのだ。カス
ピ海東部に居た遊牧民族「トゥルクマーン」がその先祖だと言われている

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