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2020年06月07日10:19

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北狄(8)

漢の武帝によって匈奴は南部と西部の領域を失ってしまった。国家の力が落ちてくると次
に起きるのは内紛である。前日の画像を再度ご覧いただくと、匈奴の支配領域に異民族と
して北の丁令、東の烏桓、西の烏孫とがあるのがわかる

まずはこの異民族が匈奴に対して反抗的になり武力衝突がたびたび起こった。さらに単于
の地位を巡る内部分裂が起きる。紀元前56年にはついに呼韓邪単于とその兄シツ支単于
が並立し、東西に分裂してしまう

シツ支単于が西匈奴、呼韓邪単于が東匈奴を統率し、壮大な兄弟ゲンカが行われたがこれ
は西匈奴が勝つ。負けた呼韓邪単于は長安に泣きつき漢の臣下となる。これに呼応して漢
の西域都護が西匈奴を攻めて滅ぼしてしまった。これが紀元前36年だ

そんないきさつもあって今度は匈奴が漢の属国という形になった。この後一応争いは無く
なった。日本がアメリカの属国になったら平和になったようなものである。しかしそんな
平和も50年と続かない。今度は漢の側が王莽によって帝位を簒奪されてしまう

帝位を簒奪した王莽は新王朝「新」を樹立する。中国では王朝の交代時に旧王朝側に与し
ていた人間を徹底的に殺す。これは「臣は二君に従わず」という儒教の教えによるもの。
つまり旧王朝臣下の人は決して新王朝に従わない。どころか隙あらば寝首を掻こうとする
から、これはもう殺してしまうしかないのだ

というわけで大量粛清が行われた。そして漢王朝臣下として属国になっていた匈奴に対し
ても威圧的な態度に出るようになった。これに匈奴側がブチ切れるのである

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