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2018年07月30日07:13

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私的サッカー史(4)

1979年ワールドユース日本大会。日本人が世界のサッカーへの関心を高くするきっか
けとなった大会だった。アルゼンチンが圧倒的な強さで優勝を飾ったが、華々しい活躍を
してMVPを獲得し、世界にその名を轟かせたのがディエゴ・マラドーナである

どんなヤツでもその名前は知っているサッカー史上最高の天才選手と言われる男である。
その超絶プレーは日本人をも魅了した。1980年からはクラブチームのヨーロッパ南米
選手権が日本で行われるようになったというのもあった。クラブチームのヨーロッパ王者
と南米王者によるいわば世界一決定戦である

何故日本で行われるようになったかというと、以前はホーム&アウェーでやっていたのだ
が、ヨーロッパのチームが南米に行った際に様々な嫌がらせがあった。時にはエスカレー
トして暴動のようなことも起こった。これじゃあやってられないよ、ということになって
ヨーロッパでも南北アメリカでもない、第三者開催地での一発勝負にしようとなった

この話を聞いた電通が日本テレビとトヨタ自動車を巻き込んで、トヨタカップとして日本
へ誘致したというわけだ。電通様が日本サッカー界の影の支配者になって行くキッカケで
もある出来事やな。まあこんなこともあって、日本人にとってはそれまで知らなかった世
界のプロサッカーというものが徐々に浸透し始めたというわけや

こうした状況があって1982年のスペイン大会をNHKが放映するようになった、とい
うわけやね。この当時は大会の開幕戦は開催国の試合じゃなくて、前回大会の優勝国の試
合ということになっていた。前回大会の優勝国は予選無しで無条件に出れたんや。前回大
会の優勝国はアルゼンチン。そして今回のアルゼンチンには1979年日本で大暴れした
マラドーナも加わっていた。マラドーナW杯デビュー戦ということになったんや

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