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2016年09月04日06:07

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日露戦争(21)

歩「何せロシア軍は陣地、要塞の構築にかけては非常に定評がある。そもそも堅牢な要塞
  のことを指すのに、トーチカというロシア語が一般的に使われているくらいやから」
榴「日本はクルップ社から攻城用の砲を買ったけど、とてもじゃないが数が不足していた
  ので、日清戦争でも使用した攻城砲も引っ張り出されて使われたんや」
三「日清戦争時に使われた攻城用大砲って、イタリア砲兵将校の指導のもとに造られたも
  のやろ。野戦砲も攻城砲も全てイタリアの教えのもとに造られたものやったな。お、
  そういえばお前さんも」
榴「その通り。ワイ、すなわち28センチ榴弾砲も、イタリアから招聘した砲兵少佐グリ
  ローはんの指導のもとに造られたものや。原形はイタリアがクルップ社から購入した
  ものを、自国内で生産可能なように手を加えたもの。それがベースとなってるんや」
歩「日清戦争時に使われた攻城砲には、9センチ臼砲、12センチ加農砲、15センチ臼
  砲といったところがあるな。これ等の砲はいずれも青銅製やった。もともと日本がイ
  タリア砲兵少佐を招聘したのは、大砲を自国で製造するにあたって、鉄資源に乏しい
  日本では鉄製ではなく、青銅製のほうが良いということで、同じく青銅製の砲を採用
  していた国ということで、イタリアから技術導入を図ったということなんや」
榴「まあワイは青銅製やなく、鋳鉄製やけどな。ワイ以外の砲は確かに青銅製やったで」

三「日本軍の攻城砲は、旧来の青銅砲3種と、新型のクルップ社製鋼鉄砲3種。これ等の
  砲がロシア軍の陣地・要塞に対して、どうだったかというと・・・」
榴「まあ、有効であったのならば、わざわざワイを沿岸砲台から引っぺがして、海の向こ
  うまで運んだりする必要は無かったわけやからなあ」
歩「そうは言うけど、通用しなかったのは旅順要塞だけで、その前の九連城や金山城なん
  かは、この装備でも十分攻略出来ている。旅順が特別やったんや」
榴「第二次世界大戦のセヴァストポリなんかもそうやけど、ホンマにロシア人は要塞作る
  のが上手いわ。セヴァストポリ要塞もナチスドイツが手を焼いたからなあ」

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