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2016年03月26日07:20

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ドライゼ ツュントナーデルゲヴェーア(1)

パーカッションロック式の出現で、撃発方式は雷管を使うやり方に変わっていった。雷管
を使うのは現在でも同じである。欧米列強各国の銃は、フリントロック方式の銃をもとに
パーカッションロック式に改造した銃ばかりだった。

フリントロック式の銃は、ハンマーで銃の上方から燧石を受け皿に叩きつけて火花を発生
させる。そのため撃発時、銃に上方から衝撃がかかる。当然ながらそれは照準にブレを生
じさせる。パーカッションロックになっても、この仕組みのままだから改善されない。

東欧の新興国家であるプロイセンの銃器技術者ドライゼは、ここを変えようとした。紙製
カートリッジに雷管、火薬、弾丸をセットしておく。雷管を直接ハンマーで叩くのではな
く、ツュントナーデル日本語で言うと撃針を間に挟んで、撃針で雷管を突くという方式を
とった。この方式は現在の銃でも同じである。

こうすることで、銃が上下方向にぶれることは無くなった。そしてもう一つ新機軸が導入
されていた。これまでの銃はほとんど全てが前装式、つまり銃口から弾薬を込める方式で
あったが、これを後装式にしたのである。

薬室の後部にボルトを付け、これをレバーで前後にスライドさせるようにする。弾を込め
るときは、ボルトを後ろに後退させてカートリッジを空いた隙間から入れる。ボルトを戻
すと、薬室内にカートリッジがロードされる。いわゆるボルトアクション式である。

ボルトアクション式も、現在に至っても使われている方式だ。つまりドライゼは撃針とボ
ルトアクションという、現在につながる2つのメカニズムを一度に生み出したのである。

この銃は1836年に完成し、1841年にプロイセン軍に認められ、1848年から配
備された。

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