mixiユーザー(id:17119814)

2016年03月18日09:27

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軍艦史(49)

さてさて軍艦史の方も再開しちゃおう。こっちのほうは、19世紀にペクサン砲という強
力な艦載砲が発明された、というところまで書いた。ペクサン砲が実戦でその威力を見せ
つけたのが1853年のシノープの海戦である。

この海戦はロシアとオスマン・トルコの間で戦われたクリミア戦争の中で行なわれたもの
だ。クリミア戦争の主戦場は黒海沿岸地域である。シノープというのは黒海に面していた
オスマンの軍港で、ここをロシア艦隊が襲撃したのである。

ロシア艦隊は蒸気船3、戦列艦5、フリゲート艦2。そしてこの艦隊はペクサン砲を搭載
していた。対するオスマン側はペクサン砲など知りもしない。旧態依然とした戦列艦ばか
りの艦隊であった。

この海戦は一方的なロシアによる虐殺と化した。オスマン側は何もする間もなく次々とペ
クサン砲から発射される榴弾によって爆発炎上し、海に沈んで行ったのだ。この海戦では
ロシア側がオスマン艦隊壊滅後も砲撃をやめず、多数の一般人の死者も出たし、海に投げ
出されたオスマン兵を救助もせず、砲撃を加えたため「シノープの虐殺」としてイギリス
やフランスから非難され、クリミア戦争に英仏両国が介入するきっかけとなった。

この海戦の結果、これまでの木造帆船の戦列艦では、ペクサン砲の猛威に太刀打ちできな
いことがハッキリした。これ以降は、軍艦に装甲を施すのが当たり前になっていく。しか
し、装甲を施すと重くなってしまう。スピードが低下する。帆船だとかなりきつい。

そこで着目されたのが蒸気機関である。石炭の補給問題とか色々と難点はあったけれどそ
んなことは言ってられない。軍艦は蒸気船の時代となって行った。

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