義理になる孫にもとても優しかったようだ。
それ以上に、自分の息子・勇一郎には。
そんな愛情深い母親から育てられて勇一郎は、どうしてあんな残虐な?
ゆあちゃんを可愛がっていた勇一郎の妹も、ごくまともなのに?
そしたら思い至った。私の母親のこと。
…母も子どもには愛情深い母親だった。…特に男の子には。末っ子の弟には。
女の子だった私は…あんまり望まれない存在だったのかな。…ま、下女みたいなもんで。
私は可愛がってもらったという認識はないから私に対しては愛情は深くはなかったかもな。
常に、「お兄さんや弟に譲りなさい」 「あんたは女の子だから、我慢しなさい」だったから。
戦争で落ちぶれたとはいえ、私の実家は旧家の家筋。
男の子は大事にされた。・・・が、私の弟は謹厳な父の意に沿わなかった。
いくじなしのへたれだった。
愛情深い母は育ちが悪かった末っ子をかばってかばって、・・・かばい続けて・・・。わはははは。
悪さをするたびに陰でこっそり謝りに行って、バイト時代のちょろまかしから、黙ってかばいtづけて。謝り続けて。
成人してからは金銭面でもかばい続けて。
我がままで、ずるがしこい自分勝手な暴力男が出来上がってしまった。
父が亡くなってからは、もう怖いものなし。母は現金引き出し機。・・・そりゃ、つくすわな。
母親孝行な息子として、べったりで。
でも、妻や自分の息子たちには専制君主だった。
執拗な嫌がらせを。…ねちねち、くどくど。怒号。叱責。手を振り上げての威嚇。(ある日、目撃して、ぶったまげた。その時は私が体を張って殴られながら止めさせたんだけどね)
嫁さんは帰るところのない人だった。・・・家柄の悪いことをなじられ続け、軽蔑されて、奴隷のように働き続け、子供たちの楯となって、護り続けた。(と思う)・・・そして壊れていった。
子どもの頃はまだ体力がなかったから、姉である私に対しては、暴力までいかず、ねちっこい卑怯な嫌がらせや、差別剝き出しの面罵ぐらいだったが。
どうしてあんな、ひねくれ曲がった性格が?(父もねちっこく説教する人がったから?)
成人してからは・・・(私は外に出てたから知らなかった)セールス時代に身につけた?やくざまがいのはったりと脅しや言葉のテクニックで、成り上がり、(ほとんど実家の金を背景として)
体力もついて、ガタイも大きくなり、ワル知恵はすばらしく。…人を取り込む話術、はったり。
外では人気者。他所の人にはその本性は分からなかった…。
えーと、そんな弟のことでなく、愛情深く?よく可愛がった母親から、そんな外からは分からない残酷な暴力男が出来上がってしまった、という事実を紹介したかったのです。
母は何でも受け止めて、黙って見えないところでフォロー(金やモノで解決?)してましたから。
・・・それがいけなかったと思うんですが?
結論:
…可愛がり過ぎるのはいけません。…いいこと、悪いこと、毅然と厳しく、教え込まなくては。
特に男の子のは。
かばいすぎるのもどうか、な?…幼い時から、(わかるトシごろになったら)、きちんと自分の犯した罪に対しての裁きも罰も必要かと。
はあ、うんざりの身内のことなどを思い出してしまったわ。
・・・さいわい?
・・・弟は少し前に業病(がん)で亡くなり、弟嫁には、お金と平安が訪れたようです。
私のダンナはお金はあまり入れてくれなかったし、私との約束はことごとく無視したけど…
子どもには無関心な分、イジメもしなかった。
ま、どんな男にも取り柄はあったということか。
と…私も早く過去形で語りたいわ。
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