mixiユーザー(id:16951242)

2020年01月19日22:43

334 view

ようやく年明け城日記

 先週の三連休に城訪問に行ってきました。
 最初の土曜日は、静岡県浜松市天竜区にある犬居城(いぬいじょう)と、同じく高根城(たかねじょう)。
 本来ならもっと早く日記にするべきだったのですが、日記用の写真が思うように撮影できず悩んでいました。
 でもせっかく訪問したんですし、何とか日記にまとめてみようと思いました。

フォト

 まずは犬居城。
 築城年代は不明ですが、地元の国人である天野氏によるもと伝えられています。
 戦国時代は今川家に従った天野氏ですが、内紛の後に徳川家に従属。その後、遠江に侵攻してきた武田家に従ったため、徳川家に攻められ甲斐に落ち延びます。

フォト

 登城口から登って行った大手口は丸馬出(まるうまだし)と枡形虎口(ますがたこぐち)を組み合わせで厳重に守られいて、その遺構もきれいに残っています。
 上の写真は馬出と虎口の間にある空堀を撮影したのですが、この時期なのに下生えが酷く、中々わかりやすい写真が撮れなかったんです。
 この辺りは今後の課題になるのかなと痛感。

フォト

 同じく空堀とそれに連なる竪堀。
 他の方の城日記を見ると、一度は刈り払いをして遺構を見やすく整備されたようなのですが、また元通りになってしまったみたいです。

フォト

 本丸と考えられている城内最高地点の平地には、このような展望台が建てられています。

フォト

 その展望台から撮影した南側麓に広がる春野町(はるのまち)。
 天野氏の屋敷もこの辺りにあったと推測されています。

フォト

 本丸の西側にある大きな堀切。
 と言われているのですが、私が著書をよく読んでいる城郭研究家の方によると、自然地形のまま手を付けられておらず、西側への防御が手当てされていない。つまり、東方面への防御に偏った造りであるとしています。
 一方で某週刊発行の城本では、人工的に削り落とされていて、西側への防御にも配慮されているとされています。
 はたしてどちらが本当かは、私のような素人にはわかりませんが、実際に見てみた限りでは、人の手が加えられたようには見えませんでした。
 本丸への斜面はきついのですが、さらに西側へ続く斜面はそれほどでもなく、尾根を断ち切る堀切にはよくある両サイドを竪堀にして斜面に落とすというような工夫もされていないんです。
 実は北西方面に数キロ離れた場所に、同じ天野氏によって築城されたとされる秋葉城(あきばじょう)という城があるので、そちら方面に逃げるための退路を確保したかったと仮定すると、城郭研究家さんの意見が真実に近いのではないかと思います。

フォト

 麓の運動公園から撮影した犬居城。
 尾根のちょうど真ん中あたりに、本丸に立つ展望台があるのがわかるでしょうか。

 続いて訪れたのは高根城。

フォト

 南北朝時代に国人、奥山氏(おくやまし)によって築城されたとされていて、後年今川氏に従属しましたが、桶狭間の戦いでその勢力が衰退した後に遠江に侵攻した武田家によって落城。
 その後、武田家の遠江方面への中継基地として改修使用されています。
 大河ドラマをご覧の方には見覚えがあるかと思いますが、3年前に放送された「おんな城主直虎」のロケが行われた城として有名。
 井伊家とは直接の関係はないものの、宗良親王(むねよししんのう)の子である尹良親王(ゆきよししんのう。)を匿うために奥山氏が築城したと伝えられており(但し、尹良親王が実在したかどうかは疑問視されている)、そういう意味では井伊家に関わりのある城ともいえます(尹良親王の母親は井伊家の女性とされている)。

フォト

 復元された本丸大手門。
 高根城は中世の山城でありながら、発掘調査の後に時代考証に則った建築物の復元がされており、本来の山城の姿を見ることが出来る、良い手本ともいえる城です。

フォト

 大きな特徴ともいえる井楼櫓(せいろうやぐら。井戸のように木材を「井」型に組んで建てた櫓)は、自然災害からの復旧のため修復中。

フォト

 本丸から撮影した水窪町(みさくぼちょう)の街並み。
 高根城は諏訪湖の東にある茅野市から浜松市に抜ける街道沿いに位置しています。
 この街道は長野県塩尻から天竜川沿いに南下し静岡県菊川に達する秋葉街道(あきはかいどう)の側道に当たり、軍事的な重要性も高いので、街道に沿って多数の城が築かれてす。

フォト

 山塊が水窪川(みさくぼがわ)に向かって張り出した尾根を、二重堀切で厳重に断ち切っています。

フォト

 そちらの方向から本丸に進むには、このような道を通らなければいけません。
 写真右側は、三の丸、二の丸になっていて、通路を移動している間は常にそこからの攻撃に晒されます。
 また一見してわかるように導線が一直線ではないため突進力が抑えられ、これまた攻撃を受けやすくされる要因となってしまいます。
 城自体が切り立った山の上にあるので、北側の大手門を除けば三の丸側から取り付くしかなく、かなり防御力は高かったものと推測します。

 この地方は公共交通機関が発達していないので、効率よく複数の城を訪問するにはどうしても自家用車に頼るしかありません(一日タクシーを貸切る奥の手はありますが)。
 今回も訪問したいものの駐車スペースがあるかどうか確認できず、目の前を素通りした城もありました。
 今川家や徳川家と武田家との遠江の覇権をかけた戦いにまつわる城には、大きな魅力を感じていますので、これからも何度も訪れてみたいと思っています。
 ・・・その前に、写真の技術を磨かなきゃなぁ・・・(涙)
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する