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2020年10月20日16:33

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わが青春の街の思い出 名古屋、栄・矢場町界隈

 名古屋栄の交差点付近は、かつて名古屋の押しも押されぬ中心であった。最近でこそ、名古屋駅界隈に押され気味だが、それでもなお、その賑わいは相当なものである。
 駅前界隈が、戦前から敗戦後の諸建造物がほぼ一新され、新しい街に生まれ変わり、かえって再開発の余地が少なくなったのに対し、栄はこれからその更新が始まるということで、さまざまなプロジェクトが進められようとしている。

 しかし、それらへの関心はあまりない。この界隈での関心の拠り所としては、一挙に半世紀以上前の、私がまだ紅顔の美青年(厚顔の媚青年?)だった学生時代へと回帰するのが常だ。

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              松坂屋美術館、南廊下のステンドグラス

 栄交差点の南西へ少し入った通称「証券ガード」付近の音楽喫茶「琥珀」で、ショスタコの「五番」やチャイコン(チャイコフスキーの「P協奏曲」)、それにメンコン(メンデルスゾーンの「V協奏曲」)などをしかめっ面をして聴いたりしたかと思うと、そのすぐ前にあった、まだチェーン展開しない前の「寿がきや」で、ラーメンをすすり、世の中にこんなうまいものがあるのだろうかと思いっきり世俗的な食の世界に浸ったりしたものだ。

 ちなみに、当時の名古屋には珍しかったこの店の豚骨系のスープをめぐり、「寿がきやは蛇のダシを使っている」という噂があったりもした。むろん蛇だろうがマムシだろうがうまけりゃいいというのが基本で、だいたい、琥珀へいって寿がきやへ行けるなんてバイトの金が入ったあとぐらいで、ふだんは、腹さえ膨れればと、学食でラーメンライスを食っていたのだから。

 その前の50年代の中頃なんか、一家4人で店屋物のラーメンを一杯とって、それを分け合っておかずにしていたくらいだった。

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 食いものの話はどんどん逸れてゆく。当時の街の様子に戻ろう。
 琥珀や寿がきやとさして遠くない、いまのスカイルビルがある辺りに、松本書店という古書店があった。そこを皮切りに、南大津通の西側に沿って転々と古書店があった。そこを辿ってゆくと、上前津の交差に至るのだが、その交差点近辺には四隅に数点の古書店があり、さらにそこで折れて、今の大須通(かつては岩井通といってたような)を東へ進むと鶴舞公園に至る間に数店の古書店があり、都合3キロ余のうちに十数軒の古書店があった。

 これを物色して歩くのはほぼ一日仕事だったが、しばしばそれを行った。具体的に特定の書などを捜すこともあったが、その場合ですら、それにとらわれずいろいろな棚を見て歩き、未知の領野の膨大さに圧倒されたものである。
 栄からのスタート地点では、文系の書が圧倒的だったが、鶴舞に近づくにつれ、理系の書が多くなっていたように思う。鶴舞の近くには名古屋大学の医学部と、名古屋工業大学があったせいだろう。

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     矢場町角には古くからのハンコ屋さんが ハンコ屋いじめて行政改革でもあるまい
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 今回は、それを懐かしみながら、栄から上前津までの間を歩いた。南大津通筋の古書店は全て消えていたが、上前津にはまだ4店舗が残っていた。

 写真はその途中の矢場町付近のものである。
 
 実はこの栄のエリア、もう一つ消すことができない思い出がある。ちょうど60年前、いわゆる60年安保の頃、学生だった私はほぼ連日のデモに参加していた。
 デモは、今度リニューアルオープンしたTV塔下広場から北上して、自民党愛知県連へ行くことが多かったが、当時まだ工事中だった百米通りの矢場町付近を解散点にすることもあった。
 6月15日の夜、国会南門付近での樺美智子さんの死を知ったのもこの矢場町に近いところでだった。それへの抗議と追悼のデモを行ったのも南大津通だった。

 私にとって、今でも名古屋の中心は栄であるし、生活圏として懐かしいのは千種区の今池である。


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