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2020年10月17日11:59

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「身が縮む思い」と反復のなかの差異 散歩道で

 市の福祉行政の一環として、「健やか検診」というのがあって、500円で高齢者の健康状態をチェックしてくれるという。
 世の中には、「健康のためなら死んでもいい」ぐらいの健康オタクがいて、日々切磋琢磨したり、「チョットお待ち下さい。今回、初心者の方に限り・・・・」といったたぐいのサプリメントの摂取に余念のない人たちがいると聞くが、私の場合はほぼ無関心でなんのケアーもしていない。まぁ、それだけ健康なのかもしれないし、鈍感だから多少の故障があっても自覚症状として現れないのかもしれない。

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 しかし、500円で現状の健康状態を数値で可視化してくれるのなら、やはり受けるべきだろうということで、やっと稲刈りが終わった田んぼに残り香のようにただよう稲の臭いを感じながら、いつものクリニックへ行く。
 採尿、採血などをし、聴診器でのチェックを受ける。それらの結果は、次回訪問時にしかわからないが、直ちに分かる数値は体重と身長である。体重の方は、ほぼ毎日、風呂上がりに自宅の体重計に乗っているので予想範囲内だったが、身長の方はいささかショックだった。

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             終わってしまった曼珠沙華
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    赤い蜘蛛 こうしてみるとタラバガニが蜘蛛の仲間というのは納得できる

 小学生の頃はあまり覚えていないが、中学、高校の頃の身長は、いつもクラスで5番前後で教室の前の方に坐った記憶はない。現に高校一年の頃は、誘われてバスケット部に所属したこともある。新人戦には出場したが、自分より小さな選手にらくらくと抜かれるなど、自分には才能がないことを嫌というほど知ったのと、二股をかけていた文系のクラブの方に興味が傾いたのでやめてしまった。

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             これは紫式部でいいのかな

 その折の自分の最高身長が、今どきの高校生の平均身長であることを知ったのはもう一〇年以上前だったろうか。まあ、半世紀も経てば変わるものだとその時点では納得していた。
 しかし、問題は私自身の身長がどんどん低くなってゆくことである。今回も減っているであろうことを覚悟はしていたが、それが最高時に比べ、七センチ減ったとなるとなんか自分の身体がいつの間にか別物に乗っ取られたようで落ち着かない。人様からみた外見というより、自分自身の問題として妙な違和感があるのだ。

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 そんなこともあったが、久々に徒歩で出歩いたのだから、チョット遠回りしてその辺を散策することにした。
 秋の日はつるべ落としという通り、自宅を出た折は爽やかな陽光といった日差しだったが、西の空が次第に赤みを増すなか、できるだけ自然が残っているようなルートを選んで歩く。私の歩くエリアは限定されているから、目新しいものは殆どない。しかし、そのなかに、私の既成の意識を揺さぶるような小さな変化の発見もないではない。

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 自然も私たちの生も、基本的には一定のリズムで反復しているようにみえる。しかし、完全な反復などはありえない。偶然の契機や差異が忍び込み、反復のパターンは常に乱れる。そして、この反復を乱す差異の登場こそが歴史を形成する。そんな、形而上的なことなどをぼんやり考えながら、暮れなぞむなか、歩を進めるのであった。
 反復のなかの差異の堆積、それが私の身長を縮めた犯人でもある。




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