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2019年11月16日01:11

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なんやかんやで初めての沖縄 ヤンバルクイナ・隔離の痕跡・沖縄の松並木

 沖縄へ来て、まず最初にやってきたのがヤンバル(山原)地区、ここに来てこれを見逃して帰る手はない。
 ヤンバルクイナ(山原水鶏)のことである。
 たしかに昨夜、そして朝方も、民宿でそのさえずりを聞いた。自分の縄張りを宣言しているのだという。しかし、その容姿は想像する以外なかった。

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 安田の集落を散歩している折も、気をつけていたのだが、それらしい姿は見えなかった。彼らの天敵はカラスで、カラスが活躍する時間帯にはあまり姿を見せないのだという。

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 しからばということで、人工飼育し、一般にも公開しているヤンバルクイナ生態展示学習施設「安田くいなふれあい公園」へ案内してもらう。

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 1981年に「初めて」発見されたというこの新種の鳥は、アメリカ大陸に初めて足を踏み入れた人間がコロンブスではなかったように、地元の人達には昔から知られていて、アガチー(「せかせか歩く」の意)、ヤマドゥイ(山鳥の意)などの名で呼ばれていた。そればかりか、貴重なタンパク源として食用にも供されていたという。ほとんど飛べない彼らは、捕獲しやすかったのだろう。

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 もちろん今や、「ヤンバルクイナの焼鳥」などは質の悪い冗談で、誰もそんなことはしない。それどころか地域全体でその保護に努めている。
 この鳥は、「発見」当初から絶滅危惧種で、その後の環境の悪化、飛べないで地上を歩くための交通事故などで減少し続け、当初の推定、1,800羽から一時は700羽ほどまでになってしまったが、地域一帯の努力が実って、現在は1,500羽ぐらいに回復してきたといわれる。

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 さて、その「ふれあい公園」でのご対面なのだが、入館料を払ってその部屋に至ると、ガラスで仕切られた向こうには、自然光を取り入れ、一見、ヤンバルの里山を模した起伏があり水たまりもある100平米ほどの空間が広がっている。
 ただし、どこにも動くものの気配はない。せっかく来たのに逢えないのではないかという不安がよぎる。しかし、解説の女性がいうには、「いや、きっと出てきます。それどころか、カメラ目線でポーズまでとりますよ」とのこと。

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 しばらくすると、茂みの奥で何やら動くものが・・・・。そしてついにそれは姿を現した。彼、クー太(彼は2代目、初代はキョンキョン)は、鳥類独自のチョコマカした動きながら、私たちを恐れる様子はまったくなく、ガラスの向こう、私から数十センチの距離を通ったりする。
 水飲み場では、しばしポーズとも思える動きをする。

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             それでは皆さん さようなら
 
 私が想像していたよりは一回りほど大きい。そして、嘴と脚の朱色が鮮やかである。
 出ずっぱりでは飽きられると思ったのか、時折、茂みの中に姿を隠し、しばらく出てこない。なかなかの役者だ。
 かくして、数回のワンマン(ワンバード)ショウが終わった。一羽では可愛そうでツガイにと思うのだが、相性やら何やら、けっこう難しいということだった。

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 次に立ち寄ったのは、沖縄でのハンセン病患者の隔離、というか棄民をあらわす記念碑で、彼らは一時は、水もない無人島に追いやられたのであった。その後、よりマシなところへ移動させられるのだが、そこは水が豊かで「地上の天国」だったという。
 しかし、ハンセン病に対するいわれなき偏見と差別が、彼らを隔離したという事実を知っている私たちからみると、その「地上の天国」がなおかつ「隔離」の場所であったことに感慨を覚えずにはいられない。
 この碑の建立は1976年、今なら、もっと違う文言になっていたかもしれない。

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 最後は、一見、松並木にみえる「今帰仁村仲原馬場跡」。両脇に残る琉球松の樹齢は200年といわれる。なお、松と沖縄とはそぐわないのではという先入観があったが、リュウキュウマツというこの地に根付いた松は、けっこうあちこちで目にした。 


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