mixiユーザー(id:1682634)

2018年12月29日19:40

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犯した罪を認めない人たち

証拠(例えば鮮明な映像や盗品の現物や検出されたDNAなど)を突き付けても居直って水掛け論に持ち込んだり問題をすり替えたりし続ける人たちに罪を償わせる為には、後になって被害者アピールされる物理的な強制ではなく、実質的な困窮が蓄積していく経済的あるいは社会的な報復が必要になります。

どんなに小さいことであれ自分たちが犯した罪を認めることは、こちらの文化圏では「果たせる責任(雪いだら免責)を確定させること」ですが、あちらの文化圏では「果たせない責任(永遠の隷属)を確定させること」らしいです。罪を犯すことだけでなく罪を認めることも悪いことらしいです。

過剰な厳罰社会では「罪に対して重すぎる対価」ゆえに、犯した罪を認めない人たちがたくさん生まれます。そして、報復する覚悟や実力がない寛容社会では「罪に対して軽すぎる対価」になり、犯した罪を認めない人たちがますます育ちます。犯した罪を認めない人たちがいなければ寛容社会の方がずっとマシなのですが、いまはそんな理想的な状態ではありません。

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最後に興味深い言葉を引用しておきます。「与えられたモノには須くそれに見合うだけの代償、対価が必要なのよ。与えすぎてもいけない。奪いすぎてもいけない。過不足なく、対等に、均等に。でないとキズがつく」(壱原侑子/×××HOLiC)。



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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年12月31日 16:22
    しかし、米軍相手だったら即反撃されただろうに…
    ところでハムラビ法典の「目には目を」も比例の法則「報復は同程度にしておけ」の意味があるのだそうな
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年12月31日 19:08
    > mixiユーザー 双方の価値観が同じであるときに「目には目を」は有効だと思います。ゲーム理論においてはアクセルロッドの実験が有名です。「しっぺ返し戦略(tit for tat)」が優勝しました。
    もっとも、双方の価値観が異なってたりすると話はかなりややこしくなりますが。

mixiユーザー

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