社会が受け入れるべき多様性については、以下の2つの価値観を比較する人が多いです。
・【A】多様性を認める(異なる価値観を排斥しない)
社会Aでは、様々な価値観の共存によって文化的な進歩が促進されますが、原理的に価値観Bの人たちも受け入れるので文化的対立(宗教や民族や難民など)が発生し「覆水盆に返らず」になります。Bと比べるとメリットもデメリットも大きいです。
・【B】多様性を認めない(異なる価値観を排斥する)
社会Bでは、普遍的な価値観が存在するので文化的対立は予防できますが、原理的に価値観Aの人たちまで排斥してしまうので文化的な進歩が停滞し「旧態依然」になりやすいです。Aと比べるとメリットもデメリットも小さいです。
いずれもロジックとしては正しいので、AとBとの優劣の議論はいつまでも平行線です。議論を眺めるに、互いに相手を批判することに嵌っているようで、以下の中庸な価値観Cを故意に無視しているように思います。
・【C】多様性を限定的に認める(対立を発生させる価値観を排斥する)
社会Cは、社会Aや社会Bに比べてメリットは小さいですが、「覆水盆に返らず」や「旧態依然」になることはありません。ただ、社会Cを実現する為には、異なる価値観を受け入れる前に「確実に対立を発生させずに共存できるか?」を判断しなければなりません。受け入れてもらう側は人権や人道や多様性などあらゆる手段で早急に認めさせようとしますが、確実に判断できなければ受け入れるべきではありません。
文化の相互理解は対立の解決の為ではなく対立の予防の為に有用です。受け入れの可否を早急に判断できるよう、諸外国における宗教問題や民族問題などを「対岸の火事」ではなく「他山の石」として予習しておくことが重要です。それと同時に、日本社会の文化(特に共存困難であろう部分)を広く諸外国に周知しておくことも重要です。
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