まず、公式ホームページ切り番の件
フロントページの右肩にナンバーが出てます。
次回の切り番は「400000番」です。一度リセットしなおしてますから・・・
延べだと50萬に成るんですね。これはさすがに自分でも驚いてます。
写真をアップする訳で無く、ただただ自分が見たモノや読んだものの辛口の感想だけです。
今月の歌舞伎座の夜の部の公演を見ましたが、完全に老人に成っている自分がそこに居ました。
歌舞伎を見始めた頃、横浜の老人に九代目・團十郎の話や、六代目・菊五郎の話を随分聞きました。
*日本橋の西川布団店の三男坊で当時としては、慶応大学に行ったインテリでした。
そして、円朝師が亡くなって、このままでは落語が駄目になると言われて、
「落語研究会」が日本橋の常盤木倶楽部の第一回の公演が有り、それを生で見てます。
芸能関係に詳しく、ご自分でも浄瑠璃を語る様でした。
まだ、その頃は自分で義大夫の稽古もして無く、何が良いか? 解らない時代でした。
*のちに 古靭大夫から聴き始めました。
そして、そのお爺さんに、芸のお手本となる人を教えて貰いました。
長唄なら吉住滋恭 三味線は 稀音家浄観を聴く様に言われました。
踊りの師匠宅に二人の前名の頃の【元禄花見踊り】が、有り聴く事が出来ました。
*小三郎と杵屋六四郎時代のものでした。
そして、常磐津は林中 清元は延寿大夫 二人の声と節回しは老人宅で聴かせて貰いました。
全て録音盤(レコード)で聴かせて貰いました。
落語家は、橘家円喬で歌舞伎役者は15代目・羽左衛門が基本でした。
その頃 ご存命の落語家や役者の話も聞かせて貰い、三度ほどお宅にお邪魔しました。
その後 色々な本を読む事によって「本寸法」と云う言葉を知りました。
*残念ながら「広辞苑」には出て無い言葉です。
能は世阿弥 茶は千利休 俳句は松尾芭蕉と傾倒して行きました。
昨日は、雑用を片付けて午後から泳ぎに行き、再放送の【相棒】を見て、
昔の自分の【文七元結】を聴きました。
脇道には、それて無いと思います。12月28日の独演会 ぜひ来て下さい。
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