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2015年03月11日09:37

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2011年3月11日 備忘録

あの日 落語協会の三階に居ました。
後輩の馬るこ君の上げの稽古で演目は【紺屋高尾】でした。
最初 ガタガタと来た時に、すぐに地震だ! と思いましたが・・・。
結構落ち着いてまして「最初の1分で静まるよ、大丈夫だよ!」と言いましたが随分長く感じました。
棚の上のものが落ちて来たので、「やばい とりあえず下に降りよう」
と、言って一階へ降りる途中、二階で「住吉踊り」の稽古をしていた連中が「怖いの?」
と、訊かれましたが、「こんな揺れは始めてですからね!」と言って一階の事務所へ。
すぐにラジオをつけて、地震の様子を知りました。
先ず、実家に電話したら母は大丈夫だと言う事が解りほっとしました。
稽古は途中でしたが、止めて寄席の情報を得る為に末廣亭に連絡して下さい。
と、お願いしたら「お話し中」でなかなか通じず、電車は全面ストップしているので・・・。
末廣亭の夜の部 18時15分上がりですので、迷っていましたが、事務員さんが行って下さい。
と云う事なので歩く事にして出掛けました。
着物の入っているバックを担いで上野黒門町から新宿末廣亭まで歩きました。

途中色々な光景を見ましたが、日本人の律儀さを感じました。
携帯電話は通話が出来ず公衆電話に長い列が出来てました。
割り込む人も無くきちんと並んでました。
最初は大通りを歩いてました、車も渋滞で歩いている方が早いくらいでした。
二時間ちかく掛かりました。
末廣亭に行ったら、夜の部は無くなりました。
席亭さんがわざわざ楽屋へ来て、私の携帯に連絡を事務所からして貰ったのですが、
やはり通じないで末廣亭へ来ました。
楽屋も大変だった様で、昼の部のトリの文楽師匠もこられないので、
前に上がった志ん橋師が二度上がりで【井戸の茶碗】でトリを勤めました。

そして川崎の前座さんと志木に住んでる下座さんが帰れないので泊まる事に成りました。
私は池袋まで歩く事にしました。
明治通りを歩いて池袋まで行きました。
途中 コンビニに寄ってなにか食べ物を、と思いましたが全商品売り切れ状態でした。
水は持参してましたので、飲みながら真っ直ぐ歩きました。
池袋へ着くと、駅に人が溢れてました。
西武も東武もシャッターを閉めてました。
東口から西口に廻ったら国際興業のバスが動いていたのですぐに「日大病院」行きの停留所に並びました。
なんとかバスに乗れて終点の日大病院まで乗り、実家に向かいました。
公衆電話から実家に電話を入れたら姪っこが出たので訳を訊いたら、
アルバイト先から帰れなくなりお祖母さんの所に泊まる事を決めて家にいたそうです。
母も孫と一緒で安心して寝られたそうです。
かみさんの実家の母は弟が会社に泊まり不安な夜で体調を崩して仕舞いました。

私もかみさんも無事に家に戻りました。
お陰さまで、棚のものも何も落ちずに無事でした。
翌日 姪っ子にコンビニで弁当を買い、差し入れして朝食を食べさす。
母は歳なので、御飯がやわらかいので姪っ子には合わないので弁当でした。
12日(土曜日)は、「初演の会」でしたが・・・決行しました。
・・・なんと三人お客様が来て下さいました。
終演後 呑み会も遣りましたが六人で「さくら水産」で反省会。
「さくら水産」は、二階の瀬戸物が全部駄目になりその後潰れました。

あれから四年 お陰様で無事に過ごしてます。
震災に遭った土地に慰問にも何回か行きました。
少しでも被害に遭った人たちの心がなごめば・・・何処へでも行きます。
そして「初演の会」は、今も毎月・勉強の場として開催しております。
今月は、13日(金曜日)5時50分からです。

改めて 震災でお亡くなりになった皆様のご冥福をお祈り致します。合掌。
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