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2015年10月18日15:10

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複雑かつ微妙な問題を含んでいる。ランドセル

他国にない特殊な道具を使うことは、輸入を困難にする一助となって国内産業の保護につながる。
毎年大量に販売され、数年で用済みとなって二度と使わない。そして何より販売数が予測できる…全体でだけど…なら産業として成立する。
無論、昨今は子供の数がそもそも減ってきているから大変だろうけれど。

例え海外の拠点で生産だけやろうと思っても、皮革の関税率が大きいため利益が出にくい。
これは、皮革製品に関する仕事があったときに実感したコトでもある。
しかし、皮革製品などが異様に突出した関税率になってるとまでは言えないと思う。
それを同和保護政策の一部だと考えるのは、少なくとも現在では意味が無い。

皮革製品の製造に同和問題が関係している場合があるのは確かだ。
実際に業界のいろんなところで被差別の扱いを受けていた(いる)人々がいて、親類等を頼って就職せざるを得ない故の偏りは確かにあると思う。
しかし、この業界が濡れ手で粟のような利益産業では全くなく、臭いしきついし使う薬品によっては危険だし、まったく部落出身者が不当な利益を受けていると言うことは無い。

しかし、えせ同和問題と言うのもあって、不当な利益を受けている人々もある。ただし、そういう場合は受益者がはじめから被差別の人間でない場合すらあって、これは単なる詐欺、強請タカリのたぐいの話であって、とは言え彼らにそういう部分が全く関係ないかというとそんなコトは無いのだけれど、いずれにせよ別な話である。

ランドセルはその大半が関西の特定の地域の生産品であり、その地域性が物語るモノに歴史の見えざる側面が見え隠れしているような気もする。

根本に立ち返って、ワシのスタンスは普通だ。つまり、人には差別は無い方がいいと思う。
歴史上、為政者が管理の都合上、あるいは自らの地位の保全のため、生み出した身分制度というものの残渣に自らに何の誇りも持てない人間がしがみついて、無根拠な他者への攻撃の理由としているコトには何の荷担の意志もない。

過去の時代における被差別部落の社会との関係性は単に身分制度とは言えない部分がある。日本の古代社会にあったアニミズムに依存する部分の緩衝地帯だったのかもしれない。その皮革や死体などを扱う穢れとしての部分を含め、表だって語られないうちに余計に暗く陰湿なイメージになってゆき、やがて蔑視と差別しか残らなかったというコトであろう。

とは言え、人は弱いものでルールに曖昧な部分があれば自らの利益になるように解釈し、例え多少の不公正があっても互いに見て見ぬふりをするような、なし崩しの不正義みたいなものがあるが…企業コンプライアンスの抵抗にもなるようなソレと似ている…そういう部分を含めて、できるだけ素直な気持ちで見ていたいと思うのである。言い換えると、現実を見ずにきれいごとを並べて自分の中で解決してしまうようなコトだけは避けたいと思う。何しろ問題をちゃんと理解できていないと思うのだ。

差別を受ける側の気持ちと言うのは、それも障がい者や異端者のそれとも同一視できない…差別をする側と傍観者…この二つは同じだと思うが、その視点からでは理解し得ない、深い…非常に深いところにある、怨嗟のような、あきらめのような、開き直りのような…そして、仲間意識とそれの表裏であるしがらみとに支配されている。
そういう環境に生きている人は、正義の在りどころも違っていて、社会問題にも感覚の違いが出てくる。

ワシは仕事でそういう人たちとつきあう中、同僚が出された茶ひとつでも口にしなかったり、会社でその人々の顔の特徴などを話題にしているのを聞いたり、そんなところに行ったなんて親には言えません。とか言うのを聞いて、東京はあまり同和の話は出てこない場所ではあるが、それでも根の深いものがあると感じている。
なお、ワシはそういうことを見聞きしても誰かの意識を正そうと意見したりしない。いや、それによって事態が良くなるなら別だが、おおむねそうはならないモノだし。

もっとも、日本は法治国家であるから、法が絶対の正義であるなどとも思わない。
自らの主観と信念によってテキトーに判断したい。w

ここで、合理的でまともな意見を言うなら、ランドセルはやめて適当な布などの素材を用いて軽量で安価なバッグを使うようにすればいいだろう。こういう商品には何ら関税的なブレーキがかからないので、すぐに全てが安い海外製になるだろう。その方が製造上のCO2排出量が少なく、ゴミ処理を含めてエコでもある。
また商品価格も一桁以上下がり、保護者の負担は軽減されるが、製造も販売も利益が減る。
市場経済的には惜しいと思うけど、まあ自由な考えでやってゆけばいいんでない?

子供が生まれ、学齢になるまで健やかで、こりゃあ目出たいぢゃないか。と言うお祝いのアニミズム的アイテムだと思えばいい。七五三的な…使わないでも飾っておけばいい。

ところで、ランドセルを使う理由として、後ろに転んだとき後頭部を守るという人があるけれど、ちょっと考えてみて。あんな重いモノを背負わせなければ後ろに倒れるコトなんか無いって。w
前から突き飛ばされた場合、人は尻餅をつくの。それが重いモノを背負っていると荷物から落ちる。安全を考えるというのなら、もうちょっと意識的に作らないと…

6歳の子どもに過酷な試練…小学生に“格差社会”を思い知らせる、高級ランドセル市場
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=3668424
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