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2021年05月04日08:49

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千葉邦胤 の雑感

祝賀会でオナラした従者に怒った武将 逆に恨みをかい刺殺される悲劇に
https://news.livedoor.com/article/detail/20131232/

戦国時代の千葉邦胤のエピソード。家臣一同列席の正月祝賀の席で、配膳をしていた近習が繰り返し放屁。その近習を咎めたら、口答えされて邦胤ブチギレ。手討ち一歩手前までいくものの、家臣たちの執り成しもあって何とか我慢し、その後も近習として用いる。

が、今度は近習のほうが「あの時に叱責された屈辱は忘れない」とブチキレて、邦胤を何度も刺して逃亡。邦胤は数日後に死亡、近習も追っ手から逃げ切れないと見て切腹。

で、当時は北条に従属状態だった千葉氏。邦胤の子が未だ幼かったため、ほぼ乗っ取られる形で北条一門が名跡を相続。その後、邦胤の子に家督は返されたが、今度は豊臣によって北条が滅ぼされてしまい、その巻き添えを食う形で千葉氏も没落してしまったというオチ。


まぁかつてはマイナーな戦国面白ネタだったのだけれども、あまりにもひどい没落理由であることから某実況板などでネタにされることが多くなり、最近では割と人口に膾炙してきている感がある。

いちおう付け足すと、このエピソードは江戸中期に作られた作者不詳「千葉伝考記」にのみ記されているもの。邦胤が家臣の手にかかって横死したことは間違いないみたいなのだけれども、それが放屁を理由にしたものだったかどうかまでは確認できない。

この時代の千葉氏は親北条と反北条がせめぎ合っていて、従属状態から抜け出すべく反北条に舵を切ろうとした当主が 一門家臣によって幽閉・殺害されたり、追放されたりということが繰り返されていた。

で、邦胤の時代になると、滝川一益を軍団長とする織田軍が関東入りしていて、北条の覇権を脅かしつつあった。邦胤は従来どおり親北条を貫いていたのだけれども、家中には「これを機に北条の影響から逃れるべき」と考えていた人間はいたはずで、さて邦胤が刺された理由は 本当に放屁のそれだったのかなと。


このエピソードの解釈の一つとして、痴情のもつれ説がある。邦胤と近習は 例のごとく男色関係にあったのだけれども、邦胤が別に愛人を作ってしまい、近習はその抗議のために放屁してみせたというもの。

まぁ「こんなにガバガバになるまで私の体を弄んでおいて、今になって捨てるのですか」ということなのだろうけれど、もしそうだったとしても 一同列席の正月祝賀の席でやるというのは、さすがに頭がおかしすぎる話。そんな生々しいもの見せられてもなお、近習をかばった家臣の人たちは、人格者揃いだと思うよ。
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