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2019年01月16日12:18

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40代と50代 (『私に付け足されるもの』と『平場の月』)

今年は何冊本が読めるかな。
今年に入って読んだ二冊はどちらもすごくよかった。

長嶋有さんの『私に付け足されるもの』

40歳前後の女性…特に華やかな事があるわけでなく覇気もあまりないような
地味な女性のお話。

思い返せば40って、自分にとって大きな節目だったような気がする。
30代の終わりに自分にとって大きな出来事があり、自分の気持ちをセーブするのに
「年」の存在がとても大きかった。役に立った。
「もう40になるのに」という声がずっと頭の中で響いていた。
30代ならもしかして(まだ)許されるかもしれない、でももう40だよ?という声が。
でも、もう少しあがいていたいような気もしていた40代、だったような。

一篇目の『四十歳』
秋美の小さい頃の記憶。母と歩いていて寒いとぐずると母は突然走り出す。
「走るとあったかくなるよ!」
もう自分がそっち(母)側だと急に悟る秋美。
もう、あっち(子)側じゃない。

秋美がふと思い出す記憶のように、この本を読んでいる時
様々な記憶が思いだされて不思議でした。
なんで知ってるの?みたいな…

たとえば子供のころ洗い物をしながら鼻歌をうたっていた母。
たとえば子供のころ行ったことのあるプラモデルの店の雰囲気。
たとえば子供のころ住んでいた線路のそばの家の窓から見た夜を行く電車。
たとえば夜遅く帰って来ても駅ビルの中の成城石井が10時までやっていて
エスカレーターを降りた先のその店にすうっと吸い込まれるように入ってしまうこと(笑)

何かのきっかけがなければ思いだされないそんな記憶を
忘れているのではなく思いださないだけ、と気づかせてくれる。
いつも長嶋さんの作品は。

一篇読むごとにふうっとため息をついて本を閉じる、それが良くて。
交通誘導員の仕事をしている『桃子のワープ』よかったな。
『先駆者の最後の黒』には少し泣いた。
なんでみんな、前はこれがいいって言ってたのに。



そして50代になった(もう中盤に差しかかるところだけど)私の胸にぐっと刺さったのが
朝倉かすみさんの『平場の月』

50になったときの気持ち。
言葉で思ったわけではないけど、もう、人生何もないな、という諦念。
この先べつに良い事がないわけではないだろうけど、すごくこうなってほしいとか
望むこと、具体的なことが、なんだかなくなったことに気づいた。
あれ、わたしどうしたんだろ…と。

中学の同級生だった青砥と須藤が再会したのは病院の売店。
検査を受けに行った青砥と売店で働く須藤。
そう、身体もいろいろある年ごろだから。

50代になっても恋愛ってできるんだなあ、50代なりの。(いいなあ)
自分を押し付けるでなく、相手のためにどうしたらと考えるような。

胃の不調を感じて検査を受けた青砥は何事もなく済んだけれども
同じころ検査を受けた須藤は大腸がんだった。
抗がん剤治療とかその副作用とか、私も母がそういう治療を受けていたので
読んでいてリアルでちょっとつらい部分もあったのだけれど。

「寛解」という言葉は希望の星。
そこに近づけると思っていたらスッと離れてしまう。
冒頭で、須藤の死は明かされているわけだけど、なんで青砥はそれを知らなかったのか不思議で、
読み進めるうちにわかってくるいきさつに、なんでよなんでよと思わずにはいられなかった。
青砥、迂闊だったな。怒りを込めて思ってしまった。
須藤も須藤だ。まっすぐに手を伸ばせばよかったのに。

須藤が感じていた「ちょうどよくしあわせなんだ」という気持ち。
青砥が同じように感じていたその場面は切なくて。

会えないことと死んで(この世に)いないことは違うのか?という
私の永遠のテーマがちらつく。

一番好きな場面は、深夜、青砥が須藤のアパートの前を通りかかるところ。
「須藤、もう寝たかな」って思うところがまたいい。
ベランダから顔を出し「夢みたいなこと」を考えていたという須藤。
「夢」じゃなくて「みたいなこと」
夢見ても決して叶わない、夢を夢見るみたいなこと。


インスタグラムで自慢するようなことは何もない。
淡々と過ごす毎日に華やかなことは何もなくても、
ちょうどよくしあわせを感じる出来事が少しある
平場の自分がいとしく思えるような
悲しいのだけど心に残る余韻は温かい、そんな小説でした。


7 8

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