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2020年07月27日23:54

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6月20日 ある土曜日の出来事《参》

52年の人生を生きて来た中で、いまだかつて入院した事が無い。ケガもスノボで剥離骨折が1回だけだし、手術も大掛かりなモノは1度も無い。
99.9%の人は『入院したくないのにしなくちゃならない』訳だろうから、こんな事を言っては不謹慎かもしれないけど、俺の心の何処かに、入院に対する憧れみたいなモノがあったのは否めない。なぜなら、たっぷりと時間が得られるからだ。
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自分のベッドを案内された時『ここが俺の城か』とテンションが上がったし、(すぐ退院するだろうけど)これから好きなだけ携帯での調べ物や読書ができる。
これは普段自分の部屋に居ても自由にできる事だが、しかしそこには微妙な違いがある。
作りかけのプラモを作らなければならない。
その為の調べ物をしなければならない。
この本を読み終えなければならない。
録画した映画を観なければならない…

自由なはずの自分が、知らない間に『やらねばならぬ事』に追いまくられてしまっているのだ。だからこういう特殊な状況、今回の様な入院や、或いは乗り物に乗って数時間身動きが取れないなど、誰にも邪魔されず、他にやる事が無く、たっぷりと時間がある。こういうシチュエーションは大歓迎なのである。
様子を見に来た母が一度家に帰り、ちょっとした荷物などを届けてくれた。着替えや携帯の充電器、何冊かの本。
いやぁ〜、思う存分本を読む事ができるこの幸せ。実際にはうつ伏せで腰が痛くなったり、流石に飽きて集中力が続かず大して読めなかったりするのだが、『好きなだけ読める』ってシチュエーションが良いのだ。例えば食べ放題の店だって、実際には大した量は食べられないと判っていても、『どれでも好きなだけ食べて良い』という開放感を味わうモノなのである。
入院してるのに『開放感』って、自分でも書いてて矛盾してる気はするがw

読書もひと段落すると、俺は早速病院内の探検を始めた。両親の見舞いで大きな病院を訪れた事はあるが、どこも似たり寄ったりである。
ただ、院内を歩いてて気が付いた事があった。
親の見舞いで訪れた時は、『へぇ〜ここが病院か。お〜こうなってんのか』みたいな、何と言ったらいいのか、ある意味『上から目線』と言うのか。『皆さんは体調崩して入院してるけど、俺は別だから』といった感じで、『自分は部外者』みたいな意識が何処かにあった。
廊下を歩いてて、チラッと見える病室内の様子。グッタリとベッドに沈み込み、虚ろな表情の入院患者達を見て、『気の毒に。ああはなりたくないもんだ』と、他人事の様な目で見ていた。ところが今回自分自身が入院する事となり、『当事者』となったのだ。
食べ物をスプーンで口元に運んでもらい、ボタボタとこぼしながら食べる。
若い看護師に下の世話をしてもらう。
曖昧な気持ちで見ていたその光景が、急にハッキリと輪郭を伴う現実として、自分の目の前に降り掛かって来たのである。
これは他人事ではない。自分の身にも、間も無く降り掛かって来る現実なのだ。
『棺桶に片足を突っ込む』という表現がある。それは流石に大袈裟ではあるが、しかし心情的には極めてそれに近い。敢えて言うなら『初めて自分の棺桶を目にした』とでも言えばいいだろうか。
今回何かの間違いでたまたま入院する羽目になっただけで、俺はまだ若く健康だ。糖尿病でもないしガンでもない。内臓も問題無いし、目も耳も大丈夫だ。
そう思ってた。いや、『そうでありたかった』のだろう。
だが、そんな俺も入院する羽目になった。俺の人生も、遂に最終章に入った事を痛感した。『まだ若い』中年期のつもりでいたが、『もう年寄り』の老年期の扉が目の前で開いたのである。その扉の向こう側の景色こそ、入院患者が蠢く病室だったのではあるまいか。
アレは別世界の話なんかではない。もう間近に迫った現実なのだ。今回だってたまたま軽症で済んだから『大事を取って入院』程度で済んだが、まかり間違えば大変な事になっていてもおかしくはないのだ。

腕には点滴用の針が刺さったままなので、自然と動きが慎重になる。同年代と比べて体力がある方だと自負していたが、ゆっくりと動いてるうちに気持ちまでネガティブになり、精神的にも病気になった気さえする。
みんなこうして死んで行くのだ…
俺はどんよりとした気分で部屋に戻った。
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