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2020年07月24日13:20

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6月20日 ある土曜日の出来事《弐》

車内に収容されると、今現在の状態や何時から症状が現れたのか、何を口にしたのか等、様々な質問を受ける。と同時にもう1人の救命士は体温や血圧、呼吸や脈拍等をテキパキとチェックする。
彼が読み上げる数値を聞いてる限り、大きな異常は無さそうだ。意識もハッキリしてるし手足も健在な身で、救急車の世話になるのに一抹の罪悪感が湧き起こる。

やがて、容態の確認や受け入れてくれる病院への連絡が済んだのだろう、『日赤に向かいますが、よろしいですか?』と訊かれた。

俺も年齢的に、これから病院の世話になる事が増えるだろう。そろそろ『掛かりつけの病院』を決めておく必要がある。
幸いうちの近所には全国的にも有名な大病院が幾つかあり、両親はそれぞれ別の病院に通っている。
今この場の返事で、俺の今後の病院生活が決まる様な気がした。

日赤は育成の目的があってか、若い医者が多いと聞く。『知識だけ詰め込んだ世間知らずの若僧』と言ってしまっては言葉は悪いが、そうした若い医師に対し、年配の患者達からの評判は芳しくない。
俺も検査だ何だと、何度も通う事になるかもしれない。そのうち医者とも顔馴染みになれば、そのまま日赤が『掛かりつけの病院』になってしまいそうな予感がする。

自分がどんな死に方をするかは勿論判らないが、この先病気になり入退院を繰り返す可能性は大いにある。人生の最後を迎える場所は、果たして日赤になるのだろうか?
俺は産まれたのが八戸の日赤なので、最後が成田の日赤ってのも悪くないかもしれない。
断る明確な理由も思い浮かばず曖昧に返事をすると、救急車は再びサイレンを鳴らしながら走り出した。
考えたり心配するのにも少し疲れたから、もう流れに任せてしまおう。
これから俺はどうなってしまうのか?
一体何が原因なのか?
病院に着けば検査も治療も受けられ、全てが解決するだろう。
カーテンの隙間から時折飛び込む車窓の景色に、
やっぱりこの道を通るんだな。
お、ここ曲がるのか。
等と一喜一憂する。半世紀も住んでいる地元の見慣れた景色が、しかし普段とは少しばかり違って見えた。



病院に着くと医者や看護士達が出迎えてくれるが、スックと立ち上がって歩き出した俺の姿を見て『なぁ〜んだ』みたいな顔をする。
仰々しく車椅子が用意されていたので断ろうとしたが、勧められたので大人しく従う。

空港で車椅子のお客様を案内する仕事をしてた時があったので、車椅子を押すのには慣れている。
その仕事をしていた時の話だが、飛行機の到着待ちの時間、俺は車椅子に乗ってウイリーの練習をしていた。これが意外な事に、ちょっと練習するとすぐできる様になる。程無く俺は、ウイリーしたままその場でクルクルと旋回したり、前進やバックも会得した。
すると後輩達も真似をし出し、何人もが車椅子ウイリーをマスター。飛行機の到着を待つ間、皆ウイリーでレースをしていた。
いよいよ飛行機が入って来ると、地上連絡員は整列して機長に向かいお辞儀するのだが、その横で俺達が車椅子に座ったまま前輪を浮かべ、ユラユラ揺れながら待機してると言うシュールな絵が展開していたのだ。
最後は航空会社の方からクレームが入り、上司にこっ酷く叱られたのは言うまでも無い。
そんな訳で、俺は車椅子に乗るとウイリーをしたくなって仕方がないのだ。車椅子に接する機会なんて滅多に無いしね。
当然ながら今はそんな事は言い出せない。看護師さんに押されるまま、大人しく診察室へと入る。

診てくれたのは案の定若い医師だ。経験不足な点は否めずとも、その若い頭脳が高スペックを維持している事は期待できそうだ。
ここでも、今朝何を食べたのか?過去のアレルギー反応は?等、同じ様な質問が繰り返される。
救急救命士の方々は医者への引き継ぎを完了して去って行こうとしたので、改めてお礼を述べた。

取り敢えずはステロイドの点滴。これやっとけば大体治まりますよ、みたいな雰囲気だったが、点滴が終わってもイマイチ回復し切らない。医者も『おかしいな』みたいな顔をするので、こちらも気が気じゃ無い。
この頃には両親も駆け付ける。親を心配させたくなかったので、家を出る時も
『ちょっと出掛けて来る』としか言ってなかったし、救急車で搬送される時も
『今から救急車で病院に行く』としか伝えてなかった。説明不足で心配をかけ申し訳無く思うが、説明しようにも『豆乳飲んだらアレルギー反応が出た』以外に言い様も無い。

鼻水は相変わらず出っ放しだが、鼻が上手くかめなくなった。普段我々は、鼻と口が繋がる部分の弁を切り替えて、鼻の方だけに空気を通したり、或いは口の方へ通したりと、無意識に行っている。ところが喉の腫れによって神経が麻痺したのか、或いは物理的に変形してしまったのかは知らないが、その弁の切り替えができなくなったのだ。具体的に言うと、鼻をかもうとすると口から息が抜けてしまうのである。こんな体験は初めてだ。

そんなやり取りの間に、先程の点滴が効いてきたのか容態が徐々に回復して来た。が、『取り敢えず大事を取って、今日はこのまま入院』と言うのが医者の判断であった。
理由の1つは『原因がハッキリしない』事。今朝起きてから豆乳しか口にしてないので、それが直接のきっかけだと考えられたが、しかし豆乳は半年くらい前からほぼ毎日飲んでいる。
体力が低下したりストレスが溜まった時等に抵抗力が下がり、こうした症状が出る事が多いそうだが、休日のノンビリした朝の出来事である。
点滴の効果が微妙だった影響も大きいだろう。医者の口振りからしても、『ステロイドの点滴やっとけば取り敢えず大丈夫』みたいな感じだったし、俺の過去の経験でも『注射1本でみるみる回復』した事があったが、今回はそう簡単には行かない。かなり特別なアレルギー物質なのか、それとも俺の体に大きな問題があるのだろうか。
後で知る事だが、アレルギー反応と言うのは実に複雑な現象で、反応を起こすアレルギー物質も多種多様。人間の身体の方も体質は千差万別で、その組み合わせで起きるのだから大変だ。しかも同じアレルギー物質を摂取しても、その量とか、その時の体調などによっても反応が異なる。アレルギーに関しては殆ど判らない事だらけらしい。
医者の方としても、治まりつつあるとは言え症状の残る患者を放置する訳にはいかず、入院を勧めざるを得ないのは理解できる。特に、『2回目は重篤化する』と言われるアナフィラキシーショックだ。しかも気道が塞がり呼吸困難の症状が出ていたのだから、一歩間違えば命にも関わる。
本音はゴネて家に帰りたかったところだが、命に代えてもやり遂げねばならない重大な使命がある訳でも無し。(どうせ昼間からビールを飲んで、映画を観たりプラモを作るぐらいである)
ここは大人しく入院する事にしよう。

4人部屋の病室に連れて行かれると、2人のお爺さんと同室だった。
外国を旅してた時はよく大部屋に泊まったものだ。俺は全く物怖じしないと言うか、人に対する好奇心が旺盛なのか、こういうシチュエーションだとすぐに話し掛けたくなってしまう性分である。
隣のベッドの人は一体どんな人だろう?どんな人生を過ごして来て、今ここに入院してるのか?持ち前の好奇心が頭をもたげる。
結果的には話すきっかけが無かったのだが、隣のお爺さんと看護師との会話がカーテン越しに漏れて来た。
ベッドに寝てると、眼を閉じて空想するか、眼を開けて天井を見る以外にやる事が無い。意識せずとも隣の会話に神経が集中する。ハッキリとは聞こえないが、その内容に俺は驚いた。
『大正生まれの93歳』
『終戦の年に広島でピカ(原爆)を見た。被曝手帳も持ってる』

終戦時は少年兵だった様だ。頭の中でザッと計算してみるが、大体数字は合ってる。
まさかこんな所で原子爆弾の生き証人と同室になるとは驚いた。
その人は市内ではなく、隣町か何処かにいたそうで、遠く(広島)の方で猛烈な閃光やら凄まじい爆音やらが響いて来たと言う。
本やテレビ等で知ってはいたが、実際の体験談となると話は別だ。俺はカーテン越しに話し掛けたくなる衝動を抑えるのに苦労した。
開戦当時は15歳くらいだろうから、軍国少年であれば戦艦や戦闘機を、眼を輝かせながら眺めていたのだろう。真珠湾やマレー沖での大活躍は、当時の国民にどれくらい熱狂的な盛り上がりを持って迎えられたのだろうか。出身が広島の近くであれば、もしかしたら呉の軍港に集結した連合艦隊の勇姿も観ていたかもしれない。
お爺さんはこうも言った。
『仲間はみんな死んじゃった。俺だけこの歳まで生き延びたんだよ』

俺も親が入院した時に何度となく病室を訪ねた事があるが、看護師達が、患者の話に対して当たり障りの無い空返事をしている事は知っている。
何も、それを批判している訳ではない。次から次へとやって来る入院患者達。その全てに親身になった対応など不可能だし、精魂込めて接した患者が亡くなり、自分の仕事の無意味さに『燃え尽き症候群』となる看護師も多いそうだ。冷静沈着に、ある意味でドライな接し方も必要だろう。
ただ、話してる方の『想い』は空回りだ。自分の貴重な体験を後世に伝えて行きたいという熱情と、冷静さと的確さを必要とする看護師との大きな温度差が、そこにはあった。
祖国の為、子孫の為、命を賭けて戦ってくれた世代。
その方々のお陰で、繁栄した今日を幸せに生きられる現代の世代。
両者の間にある歯車は、何処か噛み合ってないのではあるまいか。
病院という特殊な閉鎖空間ではあるが、日本という国の構造や社会の縮図を、そこに見た気がした。
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