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2020年07月17日17:01

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6月20日 ある土曜日の出来事《壱》

ある休日の朝。起きて1杯の豆乳を飲む。
何の変哲も無い普段通りの朝だが、この日はいつもと違った。部屋に戻ったらクシャミが止まらなくなったのだ。
スギ花粉アレルギー歴40年を越える俺はすぐにピンと来た。明らかにアレルギー物質が体内に入った時の反応だ。しかしスギ花粉のシーズンはとっくに終わってるし、その次のブタクサだってもう無いはずだ。ハウスダストやダニだろうか。
それにしてもクシャミが止まらない。一体何回続くのか。こりゃ人生最多連続記録じゃなかろうか。30回くらいかな。数えとけば良かったわ。
そうこうしてるうち、鼻水も凄い事になってきた。さっきからティッシュが手放せない。クシャミは何時の間にか止まったが、滲んでモノが見えないぐらいに涙も溢れている。アレルギー反応でこれだけ酷いのは初めてだ。
そして次はヨダレ。俺は風邪が重症になると多量のヨダレが出るのだが、そういう体質も手伝ってか、じゃんじゃん出て来る。
既に今自分がまともな顔をしてない事が自分でも判る。両目は腫れて塞がり、喉も腫れて痛くなってきた。口は半開き。他人が見たらビックリする様な顔をしてるに違いない。
喉の腫れがどんどん悪化して気道が塞がり、普通に呼吸しててもイビキをかきそうな感じになってきた。
コレどうなんだ?マジでヤバくないか?
今日はこれからビールを飲みながら映画を観るつもりだったが、ちょっと無理じゃね〜か?
アレルギーって時間が経てば回復するんだろうか。いや、病院で注射1本でサラッと治るんじゃなかったっけ?でも救急車を呼ぶレベルだろうか。
部屋に1人で座り込み、様子を見ていた俺だが、検索して近くに3軒の病院を発見した。1軒はうちのすぐ目の前の皮膚科で、『営業時間あと30分』とある。
そうか、今11:30。今日は土曜日だから午前中までか。それを逃すと明日は日曜日。万が一って事もある。診てくれると言うのだから、取り敢えず行ってみるか。
俺は携帯と財布を持って外へ出た。

6月の曇り空、少し蒸してはいるが、それほど暑くはない。歩くと普通に歩ける。
ところが、目的の皮膚科がやってない。コロナの影響による診療時間の変更だろうか。
病院に行く気になっていたので、このまま帰る気にはなれない。それに先程よりも容態が悪化している気もする。流れのまま別の病院まで足を延ばす。
2軒目、3軒目の病院も徒歩5分圏内だが駅の反対側。人の目を気にしつつ、うつむきながら足早に進む。
だが2軒目の病院は既に廃業していた。またもネットの情報に騙された。
次々と裏目に出る現実に、俺は気弱になった。時間にすればたかだか10分程かもしれないが、まるで永遠に彷徨い歩いてる様な気分だ。周囲には駅を利用する人や買い物客などがいたが、自分だけが違う次元にいて、もしかして誰からも見えてないのではないか。ここで倒れたとしても発見されず、声もかけられず、人知れず俺はこのまま終わってしまうのでは…
そんな妄想がボンヤリと頭に浮かぶ。すると、大して暑くもないのだが、炎天下の砂漠で遭難したイメージが湧き上がって来て、途端に空腹や喉の渇き、疲労感がどっと肩にのし掛かって来た。
自分の思い込みに自らが呑み込まれたのか、容態も悪化した。眼は涙で溢れ返り、まるでプールの底から見上げる様に全てが歪み、滲んで見えたし、喉の腫れもいよいよ酷くなって、普通に呼吸していてもフガフガ…とイビキをかく様な感じである。
ドラマなどで、担ぎ込まれた患者に『気道確保』として酸素マスクだったりチューブだったり、或いは最後の手段で喉を切開したり、なんて話があるが、その手前まで来ているのだろうか?
自分がどんな死に方をするのか、については普段から非常に気にしていたところだが、窒息死だけは勘弁して欲しい。
意識もハッキリしていたはずだが、なんだか朦朧としている様な気分になってくる。このまま気力が尽きて倒れ込んでしまうのではなかろうか。

無意識に足を動かし続け、3軒目となる駅前の病院へ。
ここが畑違いの形成外科である事は解っていたが、最早そんな事は言ってられない。先程ここの前を通り過ぎた時に開いてるのを確認しており、2軒目が消えた時点で、俺の中では『最後の命綱』的存在となっていた。
『あそこだ。あそこまで辿り着ければ俺は助かる。あのドアを開けて中に入るんだ…』
気分は遭難者である。

受付に飛び込むと、待合室にいた患者達が一斉に眼を向けた。
受付の人に話しかけるも、既に言葉がまともに喋れない。口の中にボールか何かが入ってる様な話し方しかできないのだ。
こりゃ只者じゃない重症患者が転がり込んで来たゾ?まさかコロナじゃあるめ〜な?
そんな声にならないざわめきが待合室に満ち溢れる。
受付の人の対応は至極真っ当であった。
『見たところアレルギー反応っぽいから、形成外科のうちでは診る事はできない』
それは解っているが、やってる病院が他に無かったので取り敢えず来た。何処の病院に行けばいいのか?と訊ねると
『119番に電話して相談してみたらどうか?』
と言われた。
救急車を呼ぶのには抵抗があったが、相談か。それなら電話するだけしてみるか。
人生で初めての『119』番。
受話器の向こうからはマニュアル通りなのだろう、的確な質問が淀みなく飛んで来る。それに返してるうちに、
『もう救急車がそちらに向かってますので。今何処にいますか?駅前のコンビニですか?』
などと、今更断り難い流れとなる。それに、相手の口調に漂う緊迫感を受けて、無意味に断る理由も無くなった。
今やってるアレルギー専門の病院を訊き、一旦帰宅してから自分でクルマを運転してそこまで行く。十中八九大丈夫だろう。けれどもう流れに身を任せてしまおう。自分で考えている程事態が軽いとも限らない。

電話を切って数分と経たないうちに、サイレンの音が近付いて来た。普段なら『他人事』と冷やかしの視線で追い掛ける存在だが、今回は違う。アレは俺の為にやって来たのだ。
けたたましいサイレンがのどかな昼時を切り裂き、救急車がロータリーに滑り込んで来ると、田舎町の駅前は一瞬騒然となる。手を振って合図してくれと言われていたが、果たしてその通りに行動すると、周囲の人達からの視線が突き刺さった。

『一体何事ザマス?救急車なんて物々しい』

『あら、あそこで停まりましたわ』

『手を振ってるあの人が呼んだのかしら?』

『まぁ、お若いのにお気の毒…』

そんな妄想の会話が聞こえて来る様だ。
しかしここまで来ると、最早そんな事はどうでも良い。
『ハイ、救急車を呼んだのはボクです』
と開き直りの心境だ。
ヒッチハイクで親指を挙げてハイウェイに立ってた時を思い出す。行き交う人全員に舐め回す様に観られるのだが、慣れるとそれが快感になり、笑顔で手を振ったりしたものだ。だがもちろん今はそんな余裕は無い。救急救命士の方々にケアされ、俺は救急車に乗り込んだ。
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