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2019年09月25日13:40

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八戸

盛岡の駅には親戚のK君とうちの母が迎えに来てくれた。
K君は俺より5歳上で、当時小学生だった俺にとっては、いわゆる『オトナ』だった。
洋楽と映画に非常に詳しく、アメリカでヒットしてる最新の楽曲や、映画に関する俺の質問には全て答えてくれた。
俺の映画好きは両親の影響が強いけれど、このK君の存在も非常に大きかった。
やがて盛岡のK君も八戸の親戚のMちゃん(K君と同い年)も働き出すようになり、俺も高校生になって友達とつるむようになると、それまで1年の内、1割以上の時間を過ごしていた八戸にもパッタリと帰らないようになった。
気付けば5年、10年、20年と月日は流れ、その間、時々何かのきっかけで親戚同士の行き来はあったものの、顔を合わせることは殆ど無かった。
俺が最後にK君に会った時もあまりに久し振り過ぎて、お互い何から喋っていいのか戸惑っていたことを覚えてる。あれは一体いつだったのだろう。あれから随分と時間が経ってることは間違いない。
今回も最初K君は『自分1人でケンちゃんを迎えに行く』と言っていた様だが、お互いにお互いのことが判らないかもしれないと、母も一緒に来たのだ。

約束の時間より少し遅れて2人が登場。
お〜っ、よく観ればK君だ。だけど確かに、駅の雑踏での待ち合わせでは、多分俺とK君はお互いに判らなかったかもしれない。
お互いの、すっかり変わった容姿に驚き合いながらも3人でクルマに乗り込み、八戸に向かう。
車内でK君と話をするにつれ、最後に会ったのがもう既に30年以上前の事だと判明し、腰が抜けそうになる程驚いた。俺が高校生か20歳くらいの頃だったか。
俺と母とK君と、3人でいれば自然と八戸での楽しかった日々の話題となる。顔ぶれは同じでも月日だけは流れてる。何とも形容し難い不思議な気持ちだ。

クルマは1時間ちょっとで八戸に到着し、今回の用事であるお墓参り。
ここは俺が幼稚園の頃まで住んでいた家のすぐ近く。このお墓も遊び場だった。その時には目の前のバイパスが非常に大きな道路に見えたし、その向こうには開けた土地が見渡せたのだが、今見るとバイパスはただのありふれた道路だし、その向こうにぎっしりと立ち並ぶ家はバイパスすぐそこまで迫って来ていた。『見渡せる』景色どころか、全てが小さく縮んでしまったかの様だ。

墓参りが済んで当時の家に行ってみるも、建物自体が既に無い。
向かいには幼馴染みのMがいた。偶然にも同じ日に自転車の補助輪を取ったので、Mと一緒に自転車の練習をした。ヤツは家の前のゴミ箱に激突してたっけな。『メグミ幼稚園脱走事件』もあった。生まれて初めてタバコを吸ったのもヤツと一緒だ。Mの家は大きな豪邸になっていた。
角には遊び場だった神社。鬱蒼とした樹に囲まれてちょっと不気味な雰囲気だった。冬などは陽が沈むと急に暗くなり、怖くなった俺は坂道を転ばない様に駆け下りて、必死に走って帰ったものだが、今見ると小さな丘の上にチョコンと立ってるただの神社だ。その向こうには青空が見えて、とても『鬱蒼とした』雰囲気など無い。
端っこの小さな駄菓子屋も、跡形無く消えていた。3人でアイスを買って来て家で食べていると、1人が『当たり』が出たのでもう1本貰いに行った。そいつが帰って来る前に、もう1人も『当たり』が出て『俺も貰いに行って来る』と駄菓子屋に向かった。こんなことってあるのかな?奇跡じゃない?それともありふれたことなんだろうか?と、当時頭をひねってた記憶が残ってる。そしてこの時の3人が誰だったのかは覚えてない。俺と、K君とMちゃんだったのか。それとも別の誰かだったのか…

それから街中へと足を伸ばす。街の中心地まではクルマで10分程か。
八戸の街は戦争中の空襲を免れたので、古い街にありがちな突然のシケインとか、一方通行だらけで走り難いし、綺麗な街とは言えない。だが俺にとって『街に行く』のは、映画を観るか、プラモデルやおもちゃを買ってもらうか、とにかく楽しいことであり、ワクワクしながらバスに乗ったものだ。
思い出補正ってのは多分にあるだろうけど、実際当時の八戸と言うのは『遊び人の街』だったそうである。日本有数の大きな漁港があり、当時は水揚げ量で釧路に次いで日本2位。そして水揚げ高は堂々1位だった(両方共3位は銚子)。それと八戸には自衛隊の駐屯地がある。しかも陸海空の3軍全てが揃ってるのは確かここだけだ。すぐ北の三沢には米軍基地もあるので、漁師とか、三沢から来た米兵が羽目を外して遊ぶのだと言う。ヤクザの多い街としても知られており、悪く言えばガラが悪いが、良く言えば刺激的でおもしろい街だったそうだ。
そんな街で青春時代を過ごし夜な夜な遊び歩いてた母は、千葉に来てあまりの田舎にがっかりしたとよく話していた。
K君も親友が八戸の人だったそうで、毎週の様に八戸に遊びに来てた時期があったそうだ。盛岡で飲んでるよりも、夜中まで煌々とネオン輝く不夜城だった八戸で遊ぶ方が楽しかったそうだ。
残念ながら俺にはそうした体験は無いが、でも俺にとっては故郷だ。街並みは随分と変わってしまい当時の面影を探すのも大変だが、俺の心は変わらない。やっぱり俺は青森県人だ。これは今までも、今も、そして今後もずっと、胸を張って言いたいことだ。

因みに関東の人は『青森県』と聞くだけで、『真っ赤な頬っぺたのオバちゃんがリンゴをもいでる』って思い込んでる人がいるけど、それ完全な誤解ですからw 勿論そういう人だっているけど。『タイ』と聞いて、『ヤシの木にハンモックで寝てる』ってのと一緒。バンコクなんか、東京以外には負けないぐらいの大都会ですからね。

最後に、八戸の親戚が最後に住んでいた家に寄る。俺が小学生から中学生の頃だから、もちろん記憶も一番鮮明だ。
家は人の手に渡っているが、建物はそのまんま残っていた。一部リフォームしたのか変わった箇所も所々あったが、殆ど当時のままである。
この大きな家に、盆と正月には親戚がみんな集まったんだよな。子供同士、それぞれ流行ってる遊びを教え合ったりね。
ホント色々あった。毎日何処かに遊びに行き、毎晩ご馳走で、毎晩宴会だった。
毎日が楽しかった。
うちの両親も『あの頃が一番良かったな』とよく言う。でも、永遠に続くモノは無い。楽しい時間はアッと言う間に過ぎ去り、そして、時は二度と戻らない。

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