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2019年09月23日23:52

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上野

うちの母の1つ上のお姉さんが青森県の八戸市に住んでて、もう1つ上のお姉さんが住んでるのが岩手県の盛岡市。
八戸はおじさんもおばさんも既に亡くなってしまい、家も無くなったんだけどね。
盛岡もおじさんが今年亡くなってしまい、今はおばさんとその息子のK君で暮らしているのだけど、色々細かい所に手が足りず、うちの家族が交代で何週間ずつか盛岡に来て、ちょっとだけお手伝いしてる感じ。

俺は中学生までは、夏休みの40日間と冬休みの2週間を全部八戸で過ごしてたんだけど、八戸への行き帰りに盛岡に1泊することが多く、俺は幼少期からこの盛岡の家にも色々お世話になっていました。
八戸へは家族みんなでクルマで行くことが多かったけど、時には俺1人だけ先に行ったり、父親が行けず、母と妹の3人で行くこともあった。もちろんその時は特急列車。
当時、東北本線は上野発だったので、最初に上野に行く訳だけど、アメ横を歩いてるとあちこちから東北弁が聞こえて来たものだ。思わず振り向くと、出稼ぎに来てたらしいおじさんとかがお土産を持って歩いてたりして、
『ああ、これから故郷に帰るとこなんだな』
と、まるで遠い異国の地で久し振りに日本語を耳にした時の様な、不思議な仲間意識とか懐かしさを感じたものだ。そして、八戸に早く帰りたくて、上野駅のホームで駆け出したくなる衝動を抑えていた記憶がある。

特急列車『はつかり』がホームに滑り込んで来て、それが冬だったりすると、大抵列車の顔にはドス黒く汚い氷がへばりついており、過酷な豪雪地帯を走り抜けて来た力強さに、こちらまで身震いする様な気持ちになったものだし、一方で、屋根の上に乗ってる雪を見つけた時には、その白銀の美しさに思わず心が踊ったものだ。千葉では滅多にお目にかかれない、あの真っ白な雪。
都会の喧騒を背に『はつかり』の車内に一歩踏み込むと、そこは故郷へ帰る人々の喜びで充満した別世界だ。東京の真ん中にいながら、心は一気に八戸へと飛んで行く。

特急列車と言っても、なんせ八戸までは800km近い。8時間座りっぱなしってのは、子供だった俺にはかなりキツかった。
そんな中でおもしろかったのは、郡山、福島、仙台… と進むにつれ、乗り降りする乗客で車内の客層が少しずつ変わって行き、飛び交う会話も徐々に東北弁へと変わって行くことだ。それに釣られるようにして俺と母の間の会話も、標準語から南部弁へといつのまにか切り替わるのである。

今回は母が前日に出発し、翌日俺が後を追う形となった。
久方振りに東北への帰郷、しかも列車で、と言うことで、長い間眠っていた俺の旅魂がムクムクと起き上がって来た。だが、子供の頃に感じたそうした旅情は、残念ながら今回全く感じられなかった。
もっとも、連休前の東京駅ってこともあったのだろう。『これから地方に遊びに行く都会の人』といった人達ばかりの様に見えた。それに、自分の年齢のこともあったかもしれない。もし今俺が子供であったなら、その感受性に何を拾い上げたのであろうか。

新幹線は快適だった。3人席の真ん中で両脇が居ない。王様の様に踏ん反り返って座っていたが、上野で両脇にお客が乗って来てちょっとがっかり。まぁチケット予約の段階でほぼ満席だったのだから当たり前か。しかし郡山で両脇の2人が降りてしまい、脚を伸ばして横になって座れた。
前の席の小さな子供が、シートの影からこちらをチラチラ覗いてる。こちらはスマホを見てる視界の隅でハッキリ見えているのだが、気付かないふり。本人は隠れてるつもりで、見つかってないと思ってるのか、ちょっとずつ大胆に近付いて来る。
若い頃は鬱陶しく感じたものだが、今は全く気にならない。スマホの画面にも集中できるし、その合間に『自分も子供の頃はああだったんだろうな』と微かな苦笑いも浮かぶ。
やっぱり俺も、少しは大人になった様である。

3席を独占して悠々とくつろいでいたが、気が付けばもう後30分で盛岡ではないか。何だこりゃ速過ぎるぞ。贅沢な文句を言ってるうちに『はやぶさ』は盛岡に到着した。

今の新幹線の駅は、どこもかしこも同じで素っ気無い。交通機関の発達によって身体は速く移動できていいのだが、心が追い付いて来ない。
『よぉ〜し、やっと着いたぞ』なんて達成感も皆無だ。最近の俺は目的地に着いても
『今俺は何処にいるのだろう』と暫くボ〜ッとしてることが多いのは、そんな理由からである。
人間は少しあくせくし過ぎだよ。もう少しスピードを落とした方が、もっと多くの『何か』を見れるんじゃないのかな。
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