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2019年08月23日22:53

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広瀬奈々子監督・編集・撮影『つつんで、ひらいて』

 
装幀家・菊地信義をめぐるドキュメンタリー『つつんで、ひらいて』は独特の感触をもっていた。長体をかけたり微妙な縮小をかけたりした明朝体文字をツメツメにし、配置をコンピュータ画面に作り上げる助手の女性もたしかに別部屋にいるのだが、銀座の一角にあるらしいその菊地さんの静かな作業場の、菊地さん自身の作業机は、鋏、方眼紙、糊などしか置かれていない、手作業のためだけのシンプルすぎるものだった。そこで菊地さん自身がコピーした文字をたとえば斜めツメツメに切り貼りし、書名文字を方眼紙に配置してゆく、いわば手作業が丸透けの過程を、カメラは寡黙に写し取ってゆくだけだ。そうして菊地装幀本の、あのルックの基礎ができあがる(とりわけ本のデザイン自体を書名文字の構成のみから導きたいという詩書特有の問題に、菊地は鋭敏だ)。菊地は束見本に暫定案の手作りカバーをかならず「つつむ」。そして本の中味の現出の度合いを確認するように、それを「ひらく」。むろん装幀家は、本の中味の物質感、それを外化する媒介者なので、装幀家の存在論というのはそもそも難しい。無限に多様化する作者の外側で、媒介性そのものを存在感にすることは、個性の主張であるとともに、無個性や不在性によって個性神話そのものを失調させる二重性まで帯びざるを得ないだろう。ドキュメンタリー『つつんで、ひらいて』の独特の感触とは、その二重性が丸透けになっている即物性から生じている。ぼくも96年に出した単著2冊目の『野島伸司というメディア』が装幀=菊地信義なのだが、編集者と違い、作者は装幀家と会う機会があまりないもので、菊地信義の仕事現場に初めて接し、菊地さんの著書『装幀談義』『樹の花にて』の滋味とはまるでちがう、「底なし自体に底がある」ような、名状しがたい何かをおぼえたのだった。映画には一応、発端と終了の節目が設けられている。ブランショ『文学空間』の駒井哲郎の装幀に衝撃を受け装幀家を目指した菊地が、ブランショの大著『終わりなき対話』全長版の装幀を「いま」手がけ、ブランショの目指した「作者性の剥落」を、装幀の側からなぞるときに、何かブランショを手がける必然のように、表紙カバーと本体のあいだに透視の二重性が起こり、同時にオビが脱落してゆく過程が捉えられるのだ。これにも「二重性が丸透けになっている」と感慨をおぼえたのだが、この感慨は決して菊地信義自身を対象化する助けにはならない。二重性が解消されないまま残る二重性内自体の距離感は、菊地信義のなす行間そのものとおなじく、言語化不能のものだからだ。ためしに菊地信義は静謐かと問うてみればよい。答は「静謐でもあり」「騒々しくもある」という二重性を保ったままで、答の有意性などもてないだろう。こうした事態こそが菊地信義なのだとおもった。三年間にわたり菊地を至近距離に収めた監督・編集・撮影の広瀬奈々子の手柄は、菊地の弟子筋の若い装幀家・水戸部功のみならず、書籍編集者、印刷・製本関係者なども肉薄対象とし、菊地の「語り得なさ」そのものを着実に立体化した点だろう。菊地は、自分の仕事「装幀」は動詞で表せば、創造する、ではなく、拵〔こさ〕える、だと言う。手偏に「存」のこの字は、「手が存在し」「手で存える」といった手中心の極小世界=ブリコラージュを直ちに聯想させつつ、同時に深さのない作為をも印象させるという意味で、やはり多重的だ。無を作り出す手捌きは、この「拵」の字にある。あるいはこのドキュメンタリーは、己れを語り得ない、と知る者の「己れ」に近づこうとしている点で、すでに歩み=paがブランショの負荷さながら多重的だと言って良いかもしれない。作品を観て、このドキュメンタリーの魅力と、それに相反するような「語り得なさ」は何だろうと考えるうち、そんな結論に達した。ほかにも優れた装幀家は数多くいるが、自分の語り得なさがこれほど深甚なのは菊地だけかもしれない。それなのに彼は流暢なのだ。しかも虚言者ではない。詩書関係者のなかで知り合いが多く出てきたのも嬉しかった。書肆山田の鈴木一民、大泉史世さん、思潮社の高木真史さん。稲川方人さんも出てきて、詩集『聖-歌章』が元々は菊地さんの装幀だったのだが、その装幀案はカバーに部分的にカバーを重ねるもので、書店流通に問題が出て、稲川さんの自装に変わったと初めて知った。稲川バージョンと菊地さんの幻のバージョンが並んで捉えられる画柄こそ、「二重性が可能性と不可能性に、透明のまま分岐する」このドキュメンタリーの主題を揺曳させていた。本作は今秋、渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショーされる。8月23日、東京渋谷の映画美学校試写室にて鑑賞
 
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