mixiユーザー(id:163513)

2019年08月21日10:11

91 view

瀬々敬久・楽園

 
【瀬々敬久監督・脚本『楽園』】
 
 
瀬々敬久が吉田修一『犯罪小説集』の全4篇中から2篇「青田Y字路」「万屋善次郎」をピックアップしてひとつにつないだ。短篇集を原作にしたこのような処理は瀬々の既存作では『最低。』とおなじだが、今回は対象化した2篇につきともに長野の「限界集落」を共通の地盤とさせることで、風景論的疎外を軸に地霊の作家、瀬々の面目が躍如する傑作となった。犯罪と土地の不即不離を宿命的に描きながら、それを超える地霊の存在まで暗示する、ピンク映画時代からの瀬々映画の十八番が現出したということだ。それぞれの短篇は時空的に独立しているはずだが、瀬々の脚色はふたつの短篇に跨る傍観者として紡〔つむぎ〕=杉咲花という薄倖な少女を設定、それをブリッジにしたのみならず、連接にかならず生じるはずの空隙を瀬々的想像力でみごとに充填させもした。「万屋善次郎」の主役・善次郎=佐藤浩市の飼う牝シェパード「レオ」を、佐藤浩市の領分から杉咲花の領分へとラスト、移動させ、分離をさらに回収したのだ。このときの犬の移動の素晴らしさ。もちろん「犬」が『HYSTERIC』以来の瀬々映画の「希望」のエンブレムなのはいうまでもない。『64』以降、瀬々の演出は「重厚」という評価を受けることが多いが、今回はドローンショットをつないでゆく空間演出のスケール感、Y字路という空間のもつ決定性、実際の限界集落をロケ地にしたゆえのゾッとさせるリアリティ、さまざまな人物造型をストーリー進展のなかで無理なく登場させる語り口の成熟が圧倒的といえるかもしれない。もう「断絶」のラディカリズムを瀬々が用いることはない。「青田Y字路」のほうは12年前、学童女児が変質者の仕業によるのだろうか下校時に行方不明になり、彼女と最後に別れた紡がひとり無事だったことで旧弊な限界集落から嫉視の負荷がかかる。12年後、紡は、職業・出自・住まいの卑賤視によって地元で浮く青年・綾野剛といわば弱者的連帯もあって淡い交情をしるすことになるのだが、おなじような少女失踪事件がさらに生じた際(この「反復」は『64』の主題だった)、その綾野が唐突に村人たちから嫌疑の対象になってしまう。この「一気呵成の転落」は「万屋善次郎」のほうの佐藤浩市にも生ずる。集落のうえのほうで孤塁を守りながら養蜂をいとなんでいた来訪者・佐藤浩市も、養蜂事業による地域起こしの提案をフライングとみなされ、一挙に村八分の苦境に立たされてしまうのだ。先に「語り口」と書いたが、たぶん瀬々の脚色が重点に置いたのは、この転落のもつ映画性だろうとおもう。どちらも驚くような速さだった。それをどう俳優演出と連動させるかに、この『楽園』の傑出性もあった。杉咲花は「行方不明になった同級生の手前、自分が幸福になってはいけないという自制」をあてがわれ、綾野剛は徹底的な弱さ・臆病さ・真摯さに固められ、佐藤浩市にはこれまでの彼のキャリアのなかで最高に濃度の高い疲弊が施されるのだ。それぞれの俳優は一言でいえば「哀しく」、これこそが彼らの美しさに直結してゆく。男優たちは犯罪主体となって、むごたらしく破滅を迎え、杉咲のみにラスト、「追憶と希望」という、相反する二概念が託されることになる。それが抽象すれば、本作の構造、「映画のアレゴリー」だった。哀しみとアレゴリーの関係は、ベンヤミンやゴダールの世界布置に似ている。「青田Y字路」は設定から窺えるようにポン・ジュノ『殺人の追憶』をおもわせ、その細部を召喚したような演出もある。瀬々はなぜポン・ジュノが韓国を撮れるように日本の映画作家が日本を撮れないのかに歯噛みする数少ない作家だろう。ただそれだけではない。たとえば行方不明になった女児を深夜、村人たちが川浚いして捜索するときにはチャールズ・ロートン『狩人の夜』を倍加したような夢幻的な美しさを画面は湛えるし、祭で横笛を吹く杉咲花の瞳が祭で荒々しくゆれる篝火の反映を受けるときは水性と火性との超越的な融合がしるされたりするのだ。佐藤浩市にはさらに奇妙なものが配分される。ひとつはこれまた淡い交情関係にあった片岡礼子との温泉混浴シーン、もうひとつは衣料店やデザイナーが使う「トルソー」が養蜂業を営む佐藤の家の前庭でハッとさせるような「幻想」を展開することだ。瀬々は物語を描きつつ、このようにして映画画面に楔を打つ。ともあれ風景があり、土地があり、犯罪がある――そう銘打ったときにはとうぜん次に「人」が用意されるだろう。それを実は瀬々はアレゴリカルに配分しているのだ。やがて作品の最重要人物に焦点が合わされる。それが、孫娘が行方不明になったことで、その友達・紡に強圧をあたえつづけた因業の老人・柄本明だった。誤謬を生ききった柄本に、最も哀しみが深いとみとるとき、作品が逆転の回路をも秘めていたと気づくことになる。もちろんタイトル「楽園」と「限界集落」の反語的同一視にもそれが貫通している。8月20日、東京飯田橋の角川試写室にて鑑賞。本作は10月18日より全国ロードショー公開される。
 
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年08月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031