きちんと自分と向き合うことから逃げ続けて早36年。
幼稚園時代に逆立ちとかタンバリンで挫折してから、人付き合いも苦手で、なんと言うか何かと誰かの作った夢に寄り掛かる手抜きな人生でした。
昨年末から、諸事情により断捨離などの過程で、スマホアプリのメルカリにお世話になってます。
自分の責任で発送して代金を受け取るを続ける中で、高評価をたくさんいただきました。
私の逃げ道だったオタグッズ収集の生き方が、誰かに利益として還元される。
印刷業でもパチンコ店員でもフォークリフト工でも野菜売りでも、嫌な思いばかりしてお金に関わることに大いに失望していた先に、ようやく自分に合った生き方というか、新しい逃げ道ができたようで、でも、まだ答えはわかりません。
世界が争いや貧困や環境に振り回されて苦しんでいるのは、自分と向き合わず、自分の不運を誰かのせいにする楽な生き方を選んでいるからでしょう。
心は水です。
低い方へ流れ、時には逆にも流れ、一滴のしずくのように蒸発することもあれば、海のような大きな世界にそそぐこともできる。
私は、土を少し濡らす一滴の雨粒です。
大気中のゴミに水分がまとわり、地面に落ちて土か岩を濡らす雨粒です。
今、雲の中にいるのか、地面に向かって落ちているのかさえわからない、雨粒です。
風に流され易く、その日の気分で消えたりまとまったり。
何ができるかわからないまま、いろんなことを頑張りました。
雨粒は恋してます。
独りの夜に見上げた月の光をイメージしたマユっちと言う存在に恋し続けています。
何も残らなくていい。
きっと、ゴールもスタートも重力の井戸の底の夢物語。
いずれ命果てようとも私はとても恵まれた馬鹿を続けて、ぎりぎりまで恋をしてようと思います。
ログインしてコメントを確認・投稿する