京アニを放火しテロを行った犯人の被害妄想が多くのクリエイターの未来を奪った。
忌まわしい事件の背景には歪んだ思想主義や生育環境があったりなかったり。
今、常人にできることは、自分の職務か生涯に対し、懸命に生きようと行動を起こすこと。
間違っても自分以外の大多数に対し妄想を膨らませ、現実とごっちゃにしないように。
命は死んだら生き返らない。
よくゲームや漫画やアニメで、蘇生の奇跡が描かれるが、命は殺されたらそれまで。
みんな余裕がないのはわかる。
私にも大して余裕はないし、自分のアイデアに似通ったアニメ漫画が世に出ると、自分の脳がハッキングされてんじゃないかとか思える時もある。
傑作アニメや漫画のアイデアや創作工程は、実は科学的で、一定のルールに沿ったカタルシスの快楽を追求する学問なのだ。
答えは一つじゃない。
正解のない問題に向き合う点では、創作の現場も現実の混乱も似てる。
ゲーム脳と言う理性の制御が上手く行かない障害があるらしい。
日本人の働き盛り世代がニートになっている現実に、確かに大勢の余裕のない使えない人種が隠れている。
夢破れ、孤独の中に、自分を見失うこともあるだろう。
自分が不幸だからと、努力もしないで、或いは十分な努力もせずに成功する妄想ばかりしている者がテロリストに化ける。
京アニの被害者の全ての方に哀悼の意を捧げる。
多くのアニメファンに愛されたスタッフの結晶は、円盤となって残っているはず。
京アニの再起はかなり難しいだろうけども、理不尽な暴力と歪んだ妄想狂の犯行に屈することなく、その炎の中から不死鳥のようにもう一度羽ばたいてほしい。
一人一人、自分の持ち場で頑張る。
ひょっとしたら何もできないかもしれない。
それでも、人と人は助け合って生きてきた。
もし、この日記を見た人で、これから誰かを刺したり燃やしたり轢いてしまいそうな人がいたら、自分は誰かを殺めてまで自分の意思や行動を押し通すだけの価値がある存在なのかよく考えて、冷静になってほしい。
テロリストを憎むその心もまた新たな暴力の引き金になりかねない。
世の中には、蚊を殺す感覚で大量虐殺できてしまう頭のおかしいのが居る。
平成から令和にかけて、多くの不幸が発生したが、人は人を信じて生きる他ない。
先月、海外の詐欺まがい企業の罠にはまって苦労してお金を取り戻した経験上、言葉の大切さや、助け合いの大切さ、逃げ道の確保など、多くを学んだ。
罪人を憎む気持ちはわかる。
しかし、誰もがどこかで何かの罪を犯して生きているのも現実問題。
覆水盆に返らず。
二度あることは三度ある。
転ばぬ先の杖。
防犯意識を高め、明日は自分の家で火災や殺人や詐欺や虐待が起きるかもしれないと警戒すると同時に、そういうもんだろうと開き直って、一種の諦めも必要でしょう?
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