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2022年06月17日03:37

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シン・ウルトラマン、3回目

「シン・エヴァンゲリオン」は、ネット配信だか有料チャンネルだかで配信なり放送なりは既にされているらしいけれど、未だ化はされていない。
座組は些か異なるものの、「シン・ウルトラマン」も海外展開するであろうから、日本国内でのテレビ放送もソフト化もまだかなり先になると私は見ているので、3回目を観る事にしていた。

近くのシネコンでは7月7日が最終上映の予定ということだったので、逆算して観るとすれぱこのタイミングがギリギリかという判断。
封切り直後には、同じシネコンの2つのスクリーンを使って時間差でソフト1日に10回以上の上映を繰り返していたものの、先週からは1日4回の上映にまでペースが落ちている。

字幕上映やら様々なオプション上映もあるにはあるが、私は映像と音声を楽しみたいだけなので、余計なオプションは全く不要と考える。

1日4回の上映にまで回数は激減しているものの、お昼一番の回ですら1/3以上の座席が埋まっているのほ、些か驚いた。


3度目ともなると、落ち着いてゆったりと観る事が出来た。
気のついた引っかかるポイントは既に日記に文字にして記してしまったので、同じポイントに引っかかることはない(筈だ、った)
再発見もいくつかあった。

例えば、貝獣ゴーガ(ウルトラQ)改め、溶解禍威獣カイゲルは、ゴーガがドリルが1個だけのデザインであった事に対して、カイゲルには複数のドリルが付いていたこと。あるいは、このデザインの改変も名称変更の一因だったのかもしれない。
カイゲル(ゴーガ)は、「ウルトラQ」の怪獣の中でもドリルを有する唯一の怪獣で、自然界に回転するドリルを持つ生物が(あえて書くが、今のところ)存在しないが故に、ガボラを登場させる為の伏線としてチョイスされているのではないかしら? とか・・・

ネロンガ戦でウルトラマンがネロンガの発する電気を吸収した後に、「銀色の巨人の両腕に高エネルギー反応・・・」台詞があるのだが、それ以前からウルトラマンの両腕の手首には光が宿っていて視覚なは既に高エネルギーが両腕に宿っているのが判るビジュアルとなっていること等。

また、ネロンガ登場のシークエンスで私は何かが物足りないと思っていた理由が判った。
子どもを助ける為に飛び出した神永とネロンガの距離感が判るヒジュアルが無いのだ。
例えば、走る神永の背景にネロンガの姿が見えるようなイメージ、あるいは逃げ遅れた子どもの背後にネロンガが蠢くようなイメージとなるような、人とネロンガが1つのショットに収まるよえなカットが観たかったのだ。

ウルトラマンと融合した後、浅見が転校生の如く禍特対に着任した際の神永の机の上に理路整然と積み上げられた書籍(実は、神永の机の上に書籍が積まれているのはこのシーンのみ)もさることながら、浅見が挨拶してからのやり取りの最中に読んでいるのは「広辞苑」で、しかもかなりの速読(斜め読み?)で、ペラペラと瞬時にページをめくって、相当な速さで書籍の内容を吸収している。
その後にも莫大な蔵書の図書館のような場所で読書するシーンが一度だけあるものの、神永が読書に耽っているのは、地球人類のことを深く知ろうとしているとも見えるし、地球人の文明のレベルや地球での科学のレベルの確認のようにも思える。
しかし、広辞苑を丸ごと1ページずつ端から端まで速読している様はかなり異様だと思う。
そして、理路整然と机の上に積み上げられた書籍を速読とはいえ
、短期間に読破し、その後は一切 机の上には書籍の類いが並ばないというのもかなりの変人なのは明らかだよなぁ・・・

なるたけニュートラルな感覚で最後まで鑑賞しようというのが3回目のスタンスだったのだが、ザラブに監禁されて神永を救出するためにチェンソーを携えてハイヒールで殴り込む浅見のシーンから、意見と感情の齟齬が明確になって浅見が神永を思わず殴るシーン、「君が私の立場だだたらどうする?」の一言で総てを呑み込んで、実は浅見が助けに来ることを間違いなく信じていた神永をバディとして認める浅見のシーンには、やはりグッと来るものを私は禁じ得なかった。
このシーンでは既に神永の正体が世界中に配信されていて、過去のウルトラシリーズの予定調和が崩壊している訳で、いわばパターン崩しが始まっているので、この先どうなるのかが読めなくなっている所で、神永と浅見の二人がバディだという再確認が交わされる事に、どうやら私は感動しているようだ。
「貴方の偽物が街を暴れている」云々の台詞に、更にグッと来て、そこに宮内國郎の音楽が重なりウルトラマンと卑劣なザラブとの格闘に雪崩れこまれるともうたまらない。

やっぱり、先に逝ったウルトラマン好きの友人達に見せてあげたかった想いが湧き上がってきてしまった。

ウルトラマンが侵した「光の星の掟破り」をメフィラスは認識しているのは明らかで、彼はいずれゾーフィが、というよりは「光の星の使者」が何らかの形で地球にやって来る事と、地球人類そのものの粛清もあり得る可能性を理解していると改めて思った。

いわゆる「物語のラストで何故かヤケクソのように巨大化して手向かう頭の悪い宇宙人」をメフィラスが演じる事になる訳だが、この映画の場合は、ゾーフィがやって来るまでに日本政府と「禁じられた約束」を交わさなければならないメフィラスには「焦り」があったのではないか。

ゾーフィの登場と共に立ち去るメフィラスは、厄介を回避するために立ち去る訳で、ゼットンはベータシステムを自由に操るメフィラスにとっても厄介な案件でしかなかったということか。

ゾーフィの登場で、ウルトラマンが「光の星のアウトサイダー」となった事が明かさるのだが、同時に禍特対そのものも「地球人類のアウトサイダー」と位置づけられてしまっている。そのウルトラマンと禍特対が地球の存亡に向けて共同戦線をとる訳だから、本来ならもっと悲壮感を持たせても良いとは思うのだが、そこが映画としては弱いようにも思った。

地球に初めて飛来してネロンガと戦ったウルトラマンは全身がシルバーで、神永と融合してからがシルバーと赤のツートンカラー

ゾーフィには赤い部分が無い所をみると、ウルトラマンの赤い色は地球人との融合の結果なのかもしれない。

ゼットンを撃破して全ての影響を別次元に送り込み(別次元は対辺な迷惑だ)、ウルトラマンはゾーフィの力を借りて神永に命を譲る。
極めて御都合主義に過ぎるものの、ゾーフィは命を2つ持って来たとは言わない事で御都合主義が軽減されているような錯覚にも陥る(笑)

神永が地上で目を開け、禍特対のメンバーが一言ずつ神永の声を掛ける所で映画は終わる。最後の台詞は浅見の「おかえりなさい」だったか。
台詞たわけを取り上げるとこの映画の最初の台詞は船縁由美の「毎度おじゃまします」から始まっていたっけ。

都合3度「シン・ウルトラマン」を観たけれど、竹野内豊がメフィラスとの調印の場で耳打ちする台詞等がイマイチ聞き取り難いのが今もって残念でならない。

さりとて、それだけの為に4度目を見る気は無いんだなぁ・・・

興行収入は、現時点で30億を越えているというので、平成ガメラの4倍は行ってるのかな?
これから先に海外での公会も控えているだろうから、売上の積み増しは期待できるので、最終的にどれだけ伸びるかが楽しみでもある。

「シン・ウルトラマン」の映画としては、禍特対のその後も、神永のその後も、浅見のその後も、かなり無責任にほったらかして終わっている(無責任にほったらかしている事そのものは、むしろ私の好きな終わり方なので問題はない)のだけれど、続編を作るとなると、どうしても「禍特対のその後」等への言及は避けられない。
今回の映画は3部作として構想されている1本目なので、ある程度はその後も構想されているであろうから、続編を楽しみとしたい。

以上、3回目の鑑賞の感想終わり。

映画を予約したのは前日の水曜日の夜。
映画を観る前には、通いの仕事のお誘いの電話が入ったので、来週以降は月末までの予定が詰まった。
加えて、映画を見終わって帰宅したら、先に見積もりを出していた仕事が入ったので来週の通いしまでの予定が詰まってしまったので、やはり3回目を観るタイミングが今日1日しか無かったということになってしまった。

日々、何かしらの用事でアッと言う間に時間が埋まるのだが、近いうちに「独立愚連隊」を観たくなっているので、どこかで時間を作って観れるといいなぁ・・・


追記・まるちゃんのツイートのお蔭で、竹野内豊の台詞が判るという「現代文明の有り難さ」よ

以下、まるちゃんのツイートより

・×リピア ○リピアー
・神永がザラブに眠らされた直後の足元のインサートに(何かを潰す音)←特殊インク仕込んでた
・シキツウ=指揮通信車
・凶兆
・失尾
・河岸を変えよう
・締結は完了した。お願いする
・田村にうまく質に取られたな
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