mixiユーザー(id:1598446)

2019年05月21日00:06

716 view

おもろうて、やがて哀しき・・・

木村進、室谷信雄、花紀京、平参平、谷しげる、伴大吾、原哲男、船場太郎、中山三吉、井上竜夫、山田スミ子、中山美穂、片岡あや子、園みち子・・・

あの頃の吉本新喜劇が1番面白かったなぁ・・・

みんな居なくなっちゃった。

ギャグに頼るだけじゃなくて、間で笑わせていたもんなぁ・・・

ご冥福をお祈りいたします。



木村進さん死去68歳 吉本新喜劇で間寛平とコンビ
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5627572

吉本新喜劇で看板座長だった木村進(きむら・すすむ=本名同じ)さんが19日午後3時14分、腎不全のため、大阪市内の病院で亡くなっていたことが20日、分かった。68歳だった。


おばあちゃん役を得意とし、間寛平(69)との名コンビで新喜劇の一時代を築いた。87年に3代目博多淡海を襲名。全国興行最終地の故郷・福岡で脳内出血のため倒れた。後に主宰劇団を立ち上げ再起していた。通夜は21日午後7時、葬儀は22日午前11時30分から、大阪市都島区の「コスモール都島」。喪主は妹の木村龍子(きむら・たつこ)さん。


   ◇   ◇   ◇


二枚目の顔をゆがめて、にやけながら「イーッヒッヒッヒッヒッヒ…」。父譲りのおばあちゃんネタを武器に、70〜80年代の吉本新喜劇を代表した座長「進ちゃん」が亡くなった。木村さんは長年の大量の飲酒や、あぶら物好きなど不摂生から、88年に脳内出血で倒れ、左半身が不自由になり、新喜劇を退団。車椅子生活だった。


後に「木村進劇団」を立ち上げていたが、10年ほど前に骨折して以後は療養に努めていた。親しい関係者は「骨折してからは、なかなか動けなくて、仕事を完全に休業したと聞いた」と話しており、数年前には自宅を出て、施設に入居。今月14日に体調が悪化し、病院へ運ばれていた。


木村さんの父、2代目淡海は、松竹新喜劇で故藤山寛美さんの名相棒。木村さんは父に反発し、19歳のとき、ライバル社の吉本へ入った。持ち前の喜劇センスを発揮し、23歳の若さで、座長へと出世。二枚目俳優だったが、芸風は典型的なボケ。1カ月で60本の番組をこなしたこともあった。


ありもしない水たまりをひょうきんなしぐさで飛び越えるギャグも特長。名コンビだった寛平の人柄、舞台度胸を気に入り、引きあげたのが木村さんだった。


80年代半ばには新喜劇の世代交代が図られ、木村さんは3代目淡海を襲名。87年から興行で全国を回り、最終地だった故郷の福岡で倒れた。左半身にまひが残り、その後、夫人とも離婚。人生に絶望していた95年に阪神大震災を経験し、娘のためにもと再起を期し、劇団を旗揚げ。病院や福祉施設で慰問活動を行った。


笑いのテンポ、間は健在で、晩年はことに、客席に問い掛けつつ、観客を取り込んだ新たな笑いを作り上げた。木村さんの復活を支えたのが寛平。「何も芸のない僕を、進ちゃんが引きあげてくれた」と恩義を忘れず、今年も複数回、見舞っていたという。01年には、寛平主演のNHKドラマ「悪意」に、木村さんが出演したこともあった。


寛平が、ヨットとマラソンで地球一周するアースマラソンを敢行し、12年1月にゴール。木村さんは「昔から寛平は、ボサーッとしているかと思ったら、突然思いもよらないボケをしていた」とねぎらい、出迎えた。寛平との絆は亡くなるまで続き、支えとなったが、2度目の再起はならなかった。【村上久美子】


◆木村進(きむら・すすむ)本名同じ。1950年(昭25)7月29日、福岡生まれ。16歳のとき淡海劇団に入り、19歳で吉本へ。23歳で吉本新喜劇座長に昇格。ボケもツッコミもこなし、風貌から二枚目役も得意。盟友間寛平との名コンビは大人気となった。87年に初代の祖父、2代の父にならい「3代博多淡海」を襲名。興行中の88年、脳内出血で倒れた。左半身の自由を失い、吉本を退社。療養に専念していたが、99年に寛平のはからいで在阪テレビ、舞台に復帰。「木村進劇団」を立ち上げた。
3 8

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年05月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031