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2020年04月02日07:24

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「緊急事態宣言」

 「新型肺炎コロナウイルス」の流行が激化して、「インフルエンザ特別措置法」が改正されて、「緊急事態宣言」が可能になりました。しかし、実際にこの「宣言」を発令するとなると今は表面化していない問題が多発する懸念があります。なぜなら、そのような「緊急事態宣言発令」下での行動を指令する側も、受ける側も経験していないからです。どういうことかと言えば、通常の生活であれば法律に基づいて判断し行動しますが、「非常事態宣言」下においては「個人の判断や権限、利益」よりも、「非常事態宣言命令」の方が優先されると言うことですから、その「命令によって個人が被る権利の侵害や肉体的苦痛、財産の喪失」などが「保証されない」可能性が高いのです。

 「イチイチそんなことに構ってられるか!」と言う状態を「緊急事態」という訳ですから、そこまでは「当然」だと「緊急事態」には誰もが納得しても、後から考えたら「あれは行き過ぎだった」「あれは間違いだった」「こうした方が良かった」と言うような事例が沢山出てくることになります。東日本大震災の時の大川小学校の児童がまっすぐ裏山に登れば助かったのに、整備された坂道を迂回して津波にさらわれた悲惨な出来事がありましたが、日常私たちの判断でも例えば「歯が痛い」時には歯医者さんに「すぐに抜いてください。痛くて我慢が出来ません」と言って抜いてもらいますが、その後「入れ歯」にしてもらっても、元々の歯のようにはシッカリ噛むことは出来ません。ですから、未経験の事態を「非常事態」と呼ぶのなら、例え間違った判断でも「一蓮托生」で従うことが出来ると言う覚悟が必要です。

 「緊急事態宣言」には、例外なく従ってもらわなければ、「コロナウイルス」の犠牲者を増やすことになりますから、「強制力」を伴いますし、違反すれば取り締まられ「罪」になりますし、罰金を取られます。ところが「その命令に従うことが困難な状況の方」も必ず出てきます。国民の側も個人によって差があり、受け入れやすい条件の方と、ハンディキャップを持たれていらっしゃる方があり、どうしても一律には動けない事情が出てきます。すなわち、ヒトによって「命令による犠牲と言うか貢献と言うか制約と言うか負担」に差が出て来る訳です。そんなことに感けていては、もっと多くの人々が危険にさらされるから「緊急委事態宣言」を出すとはわかっていても、結果から見れば「なぜ俺だけがこんな目に遭う」と言う立場の人が現れます。

 極端なことを言えば、「東日本大震災復興特別税」は国民全部に負担させましたが、今回のウイルスは「緊急事態宣言」で、「罹患者」も「健常者」にも等しく「宣言の基づく指示に従う義務」が起きるわけで、「健常者の貧乏人」が「金持ちの罹患者」を助ける状況も発生する可能性があります。このようにギリギリのところで「緊急事態宣言」を出さずに踏みとどまっていますが、盛んにマスコミが「緊急事態宣言」の発令に期待するかのような報道をしますけれど、国民生活の側からすれば「両刃の刃」を突き付けられる危険性も認識しておくべきではないかと思うのです。

 「緊急事態宣言」は思わぬ波及効果を生みます。その「結果」について「保障」は期待できません。しかし後戻りは出来ませんから、大きな傷跡が残ります。内容によっては、相手国との関係までも破壊しかねません。それほど「異次元事態」でなければ、「緊急事態」とは言えないのです。したがって、国会で議論されているような「総理に与える独裁権限」ではなく、戦前で言えば「御前会議」のような最高意思決定機関を設けて、慎重に厳粛に八方目配りしたうえで最善の施策を選ぶべきではないのかと思います。
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