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2020年02月13日07:00

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「マニュアル信仰」

 今どきの方々に「マニュアル信仰を捨てなさい」などと言えば、きっと猛反対が起きるでしょうが、まぁ、ちょっと聞いてみてください。昨日、この記事を読んでいたら、ハタと「芝居の台本」と「マニュアル」とはほとんど同じではないか?と思ったんです。そうして今の時代「マニュアル」が全盛期を迎えて、日本人の質が落ちてしまった。ここのところを解明しておかなくては、日本が廃れると思ったのです。

 https://dot.asahi.com/aera/2018091600019.html?page=1

お忙しい方は核心部分はこちらですので、ご覧ください。

 https://dot.asahi.com/aera/2018091600019.html?page=3

僕は日本の高度成長期の第一線で働いた者として、「マニュアル」を日本に持ち込んだ一人として慙愧の念に堪えません。もともと「マニュアル」と言うのは、アメリカでヒスパニックや黒人の低学歴の労働者を雇ったその日から働かせるための「HOW TO本」として創られたものです。これを家電産業のコンベヤーに貼りつく中卒の女子社員に適用すれば、「即戦力」として、事故を起こさず、均一な商品ができるのではないかと考えたわけです。それまでの日本社会では新米は「板前修業」「髪結い修業」「丁稚奉公」「下積み暮らし」が当たり前でしたから、とりあえず一人前の扱いを受ける新人にとっては喜ばれたものでした。

 一方、現場に行けば「旋盤工」「板金工」「金型工」「溶接工」などのベテランが「技能オリンピック」などで腕を競い、「マニュアル」なんて「最低限のレベルの品物しか作れない」としてバカにされたものです。マニュアル世代からすれば、どこのレストランでも聞かされる「何人様でしょうか?」「1000円からでよかったでしょうか?」と言った言葉遣いが当たり前なのかもしれませんが、ファミレスが流行り出した頃の日本では、かなり違和感があり、「相手のお客さんとの会話でお客を引き付ける看板娘」がお無くなることに寂しさを嘆いたものでした。

 戦前のモノづくりは機械化が進んでおらず、大きな調べ車をベルトで動かすような大仕掛けのモノがほとんどで、危険度も高かったため、「熟練度」が求められた上、機械の精度も低かったので、職人が微調整しながら、最適に仕上げる技が求められたことも事実です。こうして「均質」と言う暮らしに日本人が慣らされて行くに従い、「上質」が無くなり、反対に「便利」が優先されるようになりました。昔の女性は「花嫁修業」と称して、「料理学校」や「生け花修行」「ドレスメーカー女学院」など「手作り」が当たり前で、出来栄えに大きな差がありました。それが「レトルト食品」「吉野家」「ほっかほか亭」で食事が「餌」になり、「汚れを取る洗濯」から「着たら洗う洗濯」になって、「清潔感」を求め、衣類は使い捨てたり、最近は「878787」「ヤフオク」で売る時代になりました。

 金田正一さんや野村克也さんが亡くなられました。こういった方々は昭和のままに生きられました。マニュアル通りではなく、常に自分の腕を磨き新しい記録に挑戦し、極限を極められました。上掲の「樹木希林さん」もそうです。台本はマニュアルに過ぎず、「それを自分の持てる技と工夫で如何に本物に仕上げていくか」と言う職人魂が、「芸術性」を高めていくのであって、マニュアル通りにできれば高い評価を得られると言う感覚はおかしいのです。

 昨日テレビで大阪の居酒屋さんが月2回夕方貸し切りにして「子供食堂」を開いて、「西成を賑やかにする」と言うお話がありました。つまり日本人のベースには「マニュアル通り」で満足せずに「お客さんの喜ぶ顔が見たい」と言って、プラスアルファの「想い」を加えることが、「相手の心に響く」のであって、それもわざとらしくではなく、自然に滲み出るやさしさがお客さんの好感されて、初めて日本人らしく、「買ってください」⇒「要りません」と言うマニュアル的思考から、「買ってください」⇒「考えときます」と言う相手を傷つけない配慮を産むのではないかと思います。

 「守破離」で言えば、樹木希林さんの演技はもはや「離」のレベルであり、それでこそプロの価値があり、若手の人気タレントとは一味違う「苦労を苦労と見せない技」に「本当の日本人」を見る思いがします。こう見て来ると、他人の上に立つ学校の先生や政治家など他人を相手になさるお仕事の方々には、もっと樹木希林さんの心得を学んでいただいたら、立派なプロになれるのにと残念に思います。
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