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2019年11月16日08:07

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「鹿児島弁」

 皆さんが良くご存知のように、江戸時代までは日本は各藩に分かれて統治されており、ほぼ独立国並みの行政を行っており、お金も「藩札」が発行されたり、藩ごとに独自の産業振興策を取って、あるいは独自の軍事組織を持ち、幕末には外国と戦争したこともありました。このために藩によっては「伊賀忍者」「甲賀忍者」のような秘密部隊で「情報を集める」必要もあったわけで、反対に徳川幕府としても「隠密同心」を抱えて、地方の「反乱」の芽を摘む「諜報活動」を繰り返して、時には「お国替え」や「獲り潰し」をしながら、幕府の安泰を図りました。そんな中で隠然たる勢力を誇ったのは、直参旗本ではなく、地方の豪族として長年生き延びた外様の「島津藩」「毛利藩」などは独自に「反射炉」を作ったり、「金山」を開発したりして、富を蓄えて力を付けていました。そこに入り込む「隠密」を識別するために「鹿児島弁」を徹底して浸透させ、他の地域情報は集めても自藩の情報は外には出さないことを徹底しました。

 今、日本では盛んに「英語教育の普及」が叫ばれています。現代における「日本語」は200年前の日本の「鹿児島弁」と同じです。明治以降、「漢字かな混じり文章」は外国人には「日本の独自の伝統文化」が理解できずに、「黒船4隻」で日本を支配するつもりが、日本の急激な西欧化の変化で食い止められてしまいました。そこには明治期の人たちの血のにじむようなご苦労で、「英語の訳語」の創生によって、外国文化の理解と日本の伝統文化の融合を図り、日本独自の進化を遂げさせることが出来た「意義」が非常に大きいと思います。その「英語の訳語」が現在でも中国や韓国でも使われていることによって、西欧人の東アジア支配を困難にして、日中韓の三国が他のアジア諸国のような植民地支配を免れていることを忘れてはなりません。

 インドネシアにしてもマレーシアにしてもベトナムにしても教科書や道路標識はアルファベットが使われています。タイは独自文字を持つ国ですから、植民地化を免れています。つまり、自分の国を他国に理解しやすくすることは、自分の国を他国に支配しやすくしてあげることにつながるのです。戦前はラジオの普及も少なく、テレビもありませんでしたから、全国に出張すると汽車の中で乗客が何を話しているのかわからないとこも多く、着物も食べ物も地方によって大きく異なりました。辛うじて使うお金が一緒で、使う法律が同じでしたから、商売は出来ましたが、それでも「商習慣」が異なり、「価値観」が違って、もめ事は日常茶飯事でした。義務教育が6年から9年に延び、新制高校や大学の進学率が上がって、地方の独自性は失われて行きました。今、なぜ沖縄が本土との間で揉めるのかと言うと、一つには「言葉の違い」が残ってしまい、「独自文化」が足を引っ張り、内地に同化されることに危惧を感じているからにほかなりません。台湾には日本人の先生を派遣し、日本人の技師を派遣し、日本語教育を施して、日本人になることのメリットを体感させましたが、沖縄は置き去りのままです。

 このことを良く知るアメリカはハワイでもフィリピンでも英語を強制し、道路標識も新聞ラジオも、教育も英語にしました。中国もチベットやウイグルで中国語を強制しています。反対に言えば、あの狭いヨーロッパで、フランスでもドイツでも英語に変えずに、あくまで自国の言語にこだわり、外国との交渉の時だけ通訳を介してコミュニケーションを図っているのであって、日本人が大学に行くのに「英語が喋れなければ大学生にしてやらない」と言うのは、日本人が明治以降抱いてきた「外人コンプレックス」に他なりません。外国人と接するのが仕事の「観光案内業」とか、「外務省」「商社勤務」などの方々は従来通り必要に応じて英語の練達に努めてくださればよいことで、一億総英語練達者になって、学校も英語、新聞も英語、インターネットも英語、道路標識も英語になったら、世界で一番「スパイ天国」になり果ててしまいます。



 中東諸国がなぜ紛争が無くならないか?イギリスの植民地として、英語を使わせて、勝手に国境線を引き、住民の生活を分断し、石油を奪い、住民国家を破壊しつくしたからです。鉄道もなく、学校もなく、砂ぼこりの道路だけにして、資源だけ奪う。そんな地域になりたくなければ、甘い言葉『グローバリズム』を排撃して、「日本語」を大事にして、決して、国の内情を明らかにしないことです。いくら世界から非難をされようが、中国のように誤魔化しのデータを発表して、自国の利益のために有利な工作をすべきです。なぜなら「グローバリズム」は「英語支配」に一番都合の良い「錦の御旗」だからです。日本が「世界征服の野望」を持たないのであれば、「グローバリズム」は必要ありません。外国から「英語化」の要望があれば、「どうぞ日本とお付き合いくださるのなら、日本語でお願いします」と言えばよいのです。

 「島津藩」が日本語になってから、鹿児島県は日本の果てに成り下がり、日本の中心から外れてしまいました。「鹿児島弁」を標準語にして置けば、日本も違った国になったかもしれません。
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