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2019年08月12日06:42

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「八月」

 今年も「それぞれの8月」がやってきました。僕も昨日皆様から激励の「お誕生日おめでとう!」を戴きました。そうして、お墓参りに行ってきました。あの日も本当に熱かった。1945年の8月15日。みんな集まってラジオの前に立ち尽し、「天皇陛下のお言葉」を聞きました。疎開先は祖父母と親類の子供を抱えた女性陣ばかり。「これからどうなるんだろう?」とみんなポカンとしていました。そこで初めて我に返って「出征した伯父さんやお兄ちゃんたちはどうしてる?」となりました。大人たちは口々に「お兄ちゃんは靖国に居る」と言いましから、どこか「お隣の世界で生きているのだ」と思っていました。当時の日本人の「死生観」は「前世・今世・来世」と言う考え方が一般的でしたから、一足先に「来世」の方に行って暮らされているのだろう」と思っていました。

 戦死者だけでなく、国内にも被爆者(原爆以外にも多くの爆撃で無くなられた方がありました)、病死者(今ではあまり聞かなくなった赤痢や疫痢、チフスなど流行病が流行りました)、餓死者(当時は栄養失調と言う言葉が良く聞かれました。体力が弱ると些細な病気でもすぐに亡くなるのです)など大勢の方々が「あの世」に行かれました。こうして多くの「未亡人(生き残りと言う意味)」が生まれました。

 その方々への「慰霊祭」が今でも続けられています。お盆には「死者の御霊」が帰ってくるとされて、それぞれに身近で無くなられた方の御霊をお迎えして、ひと時をご先祖様に感謝し、在りし日を偲ぶ「盂蘭盆会」をお祀りするのですが、この頃は人工衛星が世界中を駆け巡っていますから、大勢の日本人が海外で「ご先祖様とお会いになられる」ことも多くなりました。(本当かなぁ?)

 でも最近は「死者の魂が蘇る」のは、「個人の記憶の中」であることに気が付きました。なぜなら、昨日のお墓参りで家内と話してみて、「故人に対する思い出」の違いや濃淡があって、「個人ごとに故人の魂」の帰り方が異なることに気が付いたからです。つまり「核家族化」や「生活を共にした期間や関係の濃淡」によって、「帰ってきた個人の御霊」に違いがあるように思えるのです。昨日の記事で「原爆慰霊祭」の主宰者が「安倍総理の死者に寄り添うと言う言葉がシラジラシイ」と仰っていましたが、それは「無理」と言うモノで、参列者それぞれに「故人の記憶」が異なる以上「同質のあるいは同量以上の思い入れ」になれと言われても、その方の「過去の経験」と「現在の環境」によって、それぞれが異なるレベルの「御霊に寄り添う」ことしかできないのではないかと思います。

 1週間ほど前に、岡山の旧友(50年ぐらい前の会社での知り合い)から、見事な白桃が届きました。「定年退職後、故郷に帰って両親と暮らし、10年ほど前から折角の土地柄なので「白桃」を育ててみたのだけれど、病虫害や天気や動物にやられてなかなかうまくいかなかった。ヤット今年は人並みの桃が出来たと思うので先輩に食べてもらいたい」と書いてあり、実際に食してみると、それはそれは甘みと言い風味と言い絶品で家内ともども大喜びしました。無農薬だから「皮ごと食べてください」と言うのです。入社早々職場は違っていても、お互いに気が合って仲間3人で信州旅行に行った記憶しかありません。お互いに若かったし結婚式も同時期だったので、お互い奥さんも知っていますが、その後は転勤もあってほとんど交流もなく、年賀状だけのお付き合いでした。

 ですから、今回の事件は、ちょっと失礼かもしれませんが「まるであの世からのプレゼント」に近い感覚で、素敵な思い出と、爽やかな人情を感じさせてくれてとても幸せなひと時でした。それに引き換え、最近はとみに連絡が少なくなった「同窓会」も櫛の歯が欠けるように訃報が増えてきて、来年ぐらいには「閉店してはどうか」と言う声が聞こえてきました。でも、ここまでお読みくださった皆様にはご理解いただけると思うのですが、先に逝ってしまった先生方や同級生の御霊の記憶を共有できるチャンスが「同窓会」であり、「故人の遺徳をしのび、御霊に寄り添い故人に感謝」する同窓会もあっていいのではないか?「お〜い そちらの暮らしはどうだい。新しい彼女は出来たか?奥方はまだこちらでお前のことを心配してるぞ〜」って「同窓会」も良いんじゃないかと言っています。
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