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2019年06月26日07:27

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「高倉健考」

昨日、「若者の突破力が眩しい」と書いた。「心が震える感動が欲しい」と書いた。その時パッと「高倉健さん」が閃いた。そこでもう少し「高倉健さん」を見て見たいと思いました。高度成長期の日本人と今の日本人は何処が違ううのか?なぜ、日本人は「高度成長期」を経験しながら、今成長できなくなったのか?今日は、そんなことを一緒に考えてみませんか?



 「成長できる」と言うことは、「青天井である」必要があります。上が塞がっていたら、伸びられないんです。「成長出来る」と言うことは「育つ畑」があり、手入れする「人たち」がいなければ「育ち」ません。「天地人」が揃った時に初めて「花」が開きます。この基本が、今の日本では忘れられています。

 高倉健さんの故郷は福岡県の中間市で、出光佐三と同郷です。福岡市と北九州市の中間にある農村地帯、筑豊炭田の北部で、麻生副首相の地元飯塚の北隣。「剛毅な気風」の土地柄です。都会は人が多くて、お互いに摩擦の中で切磋琢磨し、磨かれて行き、早く大成して「高学歴」社会に到達しますが、人物的には「小粒」になり、若くして「燃え尽き症候群」になりやすい。

 ところが、地方で放牧されて育った馬は、自分で若いころからノビノビ手足を広げて生きてきましたから、「怖いもの知らず」で、粗削りなまま世の中に出てきます。都会出の人たちは「磨かれた完成品」ですが、田舎出の人たちは、ゴツゴツした「素材のまま」です。都会出身の英才教育を受けると、一見スマートに泳ぎますが、計算高くうまく立ち回る。豊富な知識で圧倒しようとする。「俺がオレが」と主役を穫りたがる。「天上天下唯我独尊」になる。その結果「独り相撲」を取る。目線が違うのです。

 高倉健さんは謙虚です。常に「周囲の人々」に対する思いやりにあふれ、その中での自分の立ち位置を生かすことを考えています。自分の想いに一直線で生きています。 どちらが人々の共感を得られるでしょうか?今では「東京一極集中」が進み過ぎて、「スケールの大きな人財」が輩出でき難くなりました。同時に「個人技」にみんなが走り、「日本人としての集団の力」を発揮できなくなりました。

 政治家も二世、3世の時代に入って、親の育った地盤で選出されても、東京育ちが一般的で、ゴツゴツした野性的な、でもでっかい夢を描ける人物を見かけなくなりました。「日本列島改造論」や「所得倍増論」などを掲げて、それに必要な駒を揃えて、予算を付けて驀進する「コンピューター付きブルドーザー」がいなくなってしまいました。現代社会は大学進学率が上がり過ぎて、大学さえ卒業すれば、一廉の大人だと錯覚して本人も社会の扱おうとしますが、そこに落とし穴があり、運転手にも、シェフにも、旋盤工にも大学教育よりも「技を磨く修行」の方が大事なのです。

 バーチャルな社会になって、ドラマも映画も「感動」よりも、「矛盾と格闘して報復する」ような厳しさばかりが強調され、残酷な「落ちこぼれ」や「イジメ」を暴き出して、人々の心に余裕を失わせる場面ばかりが強調されているように思います。団塊ジュニアにしても、自分たちは専業主婦の優しい母親に育てられて、すくすくと育ちながら、子度たちを保育所に放り込んで、女子会にカラオケに繰り出す。そんなところから「現代の高倉健さん」が生まれてくることは極めて難しいのではないかと思います。

 ついでに「高倉健さんの人となり」についてのビデオをご紹介しておきますので、お時間のある方は是非ご覧ください。この人格の味わいは「不出世」の貴重なものになってしまうのかと思わせるものです。言葉はいらない。その生きざまをご覧頂ければと思います。全巻1〜6あったようですが、4,6は狭い了見の映画会社によって抹消されたことのようです。

 


 




 日本の再起は「既存秩序の破壊によるチャンス」と「ノビノビした活躍の場」それに「それを見極める余裕のある社会」によって育まれるのであって、現代社会にはそれが失われているように思います。

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