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2019年04月23日07:49

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「老年期日本」

 「平成の敗北」なぜ起きた?と言う記事が昨日の日経朝刊にありましたが、どうも近視眼的な見方に思えます。

 「経済同友会代表幹事を今月退く三菱ケミカルの小林会長が「平成年間」をズバリ「敗北の時代」だと呼ぶと言います。平成元年には世界の上位50社の内、NTTを筆頭に14社が日本企業だったが、今はゼロ。トヨタ自動車の41位が最高で、上位層には米国や中国のデジタル企業が占拠する。その平成元年に日本の一人当たり国内総生産(GDP)は世界第4位は26位まで下落した。その原因は人口減とデフレだと言われるが、人口増加率1%だった中国は最近まで2ケタの成長を遂げてきたから、人口減少が大きな原因とは言いにくい。一方、デフレは物価上昇率がマイナス1%を超えることはほとんどなく、これを理由とするには難しい。嘗てのイギリスのビクトリア王朝は10年単位でダラダラとデフレが続いたが、この時期に英国の産業や通商は飛躍して、7つの海を支配する「大英帝国」に変貌した。

 デフレや人口減が原因でないとすれば、何が停滞を招いたのか?小林会長の答えは「生産セクター、つまり企業の活力の衰え」だと言う。日本企業がインパクトのある新製品や新サービスを生み出せなくなったて、企業と経済の成長が止まり、日本の地盤沈下が進んだ。総じていえば、昭和の時代に急成長した日本企業も、徐々に年老いてリスクを嫌がる保守的な組織になったということかも知れない。それを数字で示すのが、企業セクターのカネ余りだ、内閣府の国民経済計算のよると企業(非金融)の17年度の純貯蓄は33兆円弱に上り、9年連続で家計を上回る最大の貯蓄主体となった。高度盛漁期は家計の貯蓄を銀行経由で企業が借りてリスクを取って新事業や新設備に投資した。そんな成長サイクルが途絶えて久しい。

 小林会長の経験では、他社に事業統合や買収を持ち掛け、交渉はいい線まで行くが、最後の最後で断られる。その際の相手方トップの台詞はいつも同じ。「有力OBさんが反対で説得できませんでした」−−。当該事業の盛衰に今後の人生を左右される若い人の意見ならともかく、役目を終えた人の発言がなぜ重きをなすのか。これも企業活力を阻害する一因と考える」と書かれています。

 以上の内容にはすべて「同意」します。その上で、付け足すとすれば、企業だけでなく、国全体が「老化」してしまっています。国が若い時には、みんな貧しくても「でっかい希望」があるので幸せでした。赤とんぼの歌で「15でねぇやは嫁に行き」とありますが、小学校や高等科を卒業して14〜5歳で社会人になり、女性は嫁に行き、子だくさんでした。幼児死亡率も高く、生活苦で身投げや心中、子供を売る時代でしたが、朝から晩まで必死に働いて子供を育てました。次々に兵隊にとられるのに、子供の代に期待して教育にも熱心でした。

 食料や燃料も自給自足で、蚕を育てたり、鶏を育てたりして、衣類も自家で機を織り、染め替えも洗い張りも仕立ても自分でやりました。家計のやりくりと生活の工夫で「火の車」の生活で一生を終えました。そんな中から、国民はみんなが力を合わせて立ち上がり、豊かな生活が送れるように夜に日を継いで工夫と改善で一気に高度成長期を過ごしてきました。あったのは「ハングリー精神」と「ガンバリズム」。無かったのは「暇とカネと成功体験」。日本が高度成長の「中年期」に差し掛かると、「成功体験」と「慢心」が広がり出しました。話を飛躍させますと、日清戦争や日露戦争を戦った頃の日本は、「戦争に勝てる」とは当の兵隊さんたちも誰も思っていませんでした。「必死に戦ってみたら勝ってしまった」のですが、日本が米英仏ソに肩を並べる頃になると、軍部の成功体験と慢心から、「政治の世界」に発言力が増して、大東亜戦争に引き入れてしまいました。

 今、テレビのコマーシャルを見ていると、30年前の人気タレントが50代になっても活躍しています。ニュースを見ても、高度成長期の日本の事件は若者中心で、年寄りはもっと分別臭くて、事件を起こさなかった。今では当時の若者がそのまま歳だけ食ってバブル期の若者が今でもニュースの主役を担っています。社会は未熟者が適当に生きる時代になりました。「教育」も知育偏重で「大事に育てる」時代になり、高度成長期の「技能五輪」とか、師匠について「鍛える」厳しさが薄れていきました。すると、「老害」がのさばります。軟弱な若者の前に嘗ての「凄腕」がシャシャリ出て、政界でもかつては「70歳定年制」などで隠居を迫りましたが、今では70歳越えがゴロゴロ居ます。

 一番は「創業家」が減り、経営者がみんな「リリーフ投手」みたいになったことです。「先発完投」の時代には、「神様、仏様、稲尾様」でピッチャーが試合の全責任を負っていましたが、「先発」「中継ぎ」「ワンポイント」「クローザー」では、誰が勝利投手なのか分からなくなっていて、負けても誰も責任を感じません。何故社会の役割を終えた老人の「選挙権」を放棄させないのか?「働かざる者食うべからず」で、国家予算は若者が活躍して、子育てして、社会を発展させるために使われるべきで、あと何年生きるかわからない老人に投資しても、何も回収できない無駄なコストではないのか?個人のフトコロに入れば、経済の活性化ができるカネが、企業に滞留している矛盾。もっと国が若返って、まじめに「発展軌道に乗せる」ためには、「少子化対策」ではなく、「老害排除」で国を若々しく蘇らせることこそ、「令和の勝利」への道ではないかと思います。
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