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mixiユーザー(id:15951369)

2019年04月05日08:00

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「憲法改正しても・・・」

 昨日はお天気も良く、絶好の「お花見日和」でした。子供のころに母親に連れられて、茣蓙や水筒を持ち、兄貴が抱える重箱や親父の下げた一升瓶の後に続いて、近所の老松公園で大勢の花見客に混じってお花見をしたことを思い出しながら、京都の石清水八幡宮のほど近い「背割桜堤」で旧交を温めてきました。今どきの同窓会のお花見は、「年寄りの遠足」と言った風情で、駅前の雑踏の中で「タケノコ弁当」や「巻きずし」「松花堂弁当」とお茶を買い求め、デザートも「桜餅」を買い込んで、商魂たくましいお兄さんから「敷物」や「ゴミ袋」まで買わされて、ひたすら桜の下を歩き回ると言う「現代風アルコール抜きのお花見」を楽しんできました。

 石清水八幡宮の展望台では、僕と同い年のボランティアガイドさんが、眼下に広がる淀川3川{木津川・宇治川・桂川)の合流点の眺めのままに繰り広げられた「山崎の合戦」を始め「鳥羽伏見の戦い」を偲び、はるかに見える京都の街並から比叡山に至る広大な地域の自慢話を伺い、時々間違えると「すみません、ちょっと飲み過ぎましたので・・」と頭を掻かれて、「主客転倒」を味わったり、みんなの笑顔が溢れる「簡素なお花見」でした。

 その席で、早くも「孫の結婚式が明後日」という話が飛びだしてビックリするやら、自分たちが年を取ったという話やら、今時と自分らの青春時代の違いを三々五々語り合って懐かしみました。僕らの世代は戦後すぐに小学校に入学した「ひらがな世代」で、それ以前は戦前を含めて1年生は「カタカナ」で始まりました。3年生のころ「新制中学」が出来て、義務教育が9年間に延ばされて「6・3・3・4制」ができましたが、でもそのまま就職する生徒もあり、多くの同級生は新生高校卒で就職していきました。ちょうど朝鮮戦争が終わり、昭和31年に高校、34年に大学に進学した高度成長期の入り口で、「中卒集団就職」は金の卵と呼ばれる時代でした。

 昭和33年の「皇太子ご成婚」のニュースに新しい時代の幕開けを感じました。それまでの「戦前の匂いが色濃く残る日本」に「旧華族出身で無く民間からの妃殿下誕生」に、新しい風が吹いた気がしました。巷では「安保反対!岸を倒せ!」で荒れていても、新しい時代の息吹が爽やかで、「新生日本のスタート」が東京オリンピックや大阪万博、東海道新幹線、高速道路開通などで驀進する予感が迫っていました。先生は戦前の生き残りでも僕らのこれからは「時代が代わる」「主役が変わる」。多くの先人たちが「戦火に倒れ」、会社も「幹部社員」が不足していて、新しい設備や技術を担当するのは新人ばかりでした。デモに参加する人も会社を支える人も、「自分たちの置かれた立場を意識」して進んで「渦中に飛び込んで」いきました。

 極端な言い方をすれば、「大間違いの意識」だったのでしょうけれど、「軍人主権」⇒「国民主権」の時代の先陣を切って進むといった「高揚感」がある反面、その進路を一つ間違えば10年後の日本は大きく間違った道に入り込む危険性を意識し、青天井の組織の中で暗中模索を繰り返し、多くの「企業戦士」や「社会運動家」が消えていきました。ですから、決して「順風満帆」であったわけではなく、先輩たちが呻吟しながら格闘した時代に歌われていた歌を嘯き乍ら、若干の怖さと若さの勢い交錯する中で「真剣に」毎日を送ってきた世代です。その緊張感が現代の孫の世代には大きく後退してしまい、気が付けば「周囲はオオカミが跋扈している」中で、「世界一危険な憲法」を金科玉条とする日本にしてしまったことの後悔を語り合う「お花見」になりました。

 








 これだけ日本社会のベクトルが世界標準とずれてしまって、「自国の安全安心はアメリカ次第」の国民にしてしまってから、今ではいくら「憲法改正」を叫んでも手遅れで、もはや後戻りはできないのじゃないか?僕らの頃はもう少し「自立心が強く、独り立ちするんだ」と言う責任感も強かった。それが78歳の同窓会の「昔紅顔の美少年」と「しおれるチョット前のやまとなでしこ」の感想でした。「日本を自分たちで守る気がないのに憲法だけ書き換えても何も変わらないのじゃないか?」。そう言われたら、虚空しさだけが残りました。



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