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2017年10月02日07:54

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「民主主義考」

 私たちが今日の社会を考えるときに、当たり前のように「自由」「民主主義」「法の支配」「人権」は所与のものであるかのように考えていますが、本当は長い歴史の中でたった200年ぐらいしかたっていないし、その「民主主義」も初めから今日のようなコンセプトが完成していたというのではなく、徐々に形作られて伝播されていったものだと言います。したがってその在り方も各国の歴史や民主主義の進化の過程で独自の色合いを持っていて、「民主主義のグローバル・スタンダード」というモノはなく、その国々の風土や国民感情、宗教などによって、あたかも世界中にいろんな民族が独自の民族衣装をまとっているように、「民主主義」も独自の進化を遂げているのであって、その「価値観」を共有するということは極めて難しいことのようです。

 それというのも、産業革命が起きる17世紀以前の世界には、ほとんどの国は独裁政権であったものが、「産業革命」によってそこから「資本家」と「労働者」が生まれて、初めて「資本主義」が誕生したと言われています。つまり「領主」と「領民」の関係の時は、お互いにその存在は「農業生産を通じた土地の活用」や「家内工業による地域経済」でお互いにお互いを必要としていた間柄だったために、王族による治世さえ行き届けば、平穏な暮らしができるので、「封建社会」が維持されていましたが、「産業革命」以降、一気に「貧富の格差」が拡大し、「工業生産力の飛躍的進歩」の結果労働者の使い捨てが発生し、生活がひっ迫するに及んで「政治革命」が多発して「自由・平等・博愛」を旗印に「民主主義」という概念が発生してきたという訳です。

 「産業生産力の急拡大」は必然的に「市場」を必要とし、「貨幣経済」や「通商ルール」「物流の整備」などを伴って、「資本主義」を大きく発展させました。ここに今日の世界の「矛盾と相克」があります。ご存知のように「封建社会」と言うのは「縦社会」であり「階級固定」を前提としますが、「資本主義」は「横社会」で「自由」「平等」を標榜します。

 それで何が言いたいかと言えば、「民主化」と言えば、「グローバル化」と相関しているのに、今日の「保護主義」や「TPP」や「低金利政策」などの、人為的な資本主義の自由な発展を阻害する政策介入は、必然的に「民主主義」の後退を招くという結果になるのです。したがって、「資本主義の後退」=「民主主義の後退」⇒「戦争の危険性の増大」ということにつながるという訳です。

 1820年代の比較すると世界の一人当たり平均収入は13倍になり、世界は一気に「教育」が普及し、平等の意識が徹底すると「すべての人は意思決定に参加でき、すべての人が市場に参加できる」という「民主主義」が確立されたかのように見えながら、実は「資本家は発言力が強く、愛国心の乏しく、勝者が敗者を追い込む非正規労働者を増大させて、有権者の生活を不安定にする」傾向があります。

 世界人口が70億人を超えて、ますます「資本主義」が後進国に拡大して行きました。その結果、低所得の後進国で今初めてテレビを買い、冷蔵庫を買い、自家用車を買う段階の商品を供給する中国や韓国が「低価格の普及品」で、日本のように成熟市場を相手に「高性能な高級高価格商品」を開発し続ける国は少ない市場にしか通用しない為、「資本主義成熟国」として、早々と2階に上がってしまって、後を振り返ってみたら「低レベルの世界標準」からかけ離れてしまった。特に意識が足りなかったのは、「グローバル・スタンダード」や「安全基準」「メカトロニクス」や「半導体製造装置」などを日本が整備して、中国や韓国に渡したため、日本は「自分で自分の首を絞める=自縄自縛」の結果になり、「民主主義」「自由」「人権」「法の支配」でぐるぐる巻きにされた日本より、「資本主義」が制限された「人権」も「法の支配」も気ままな中国や韓国の方が「経済の主導権」を取りやすくなっていることに気が付くべきではないかと思います。

 ですから、アメリカもイギリスも「グローバル化」に逆らって、TPPやEUという「資本主義のプラットフォーム」から降りて、「民主主義の後退」を選びました。「自由」「民主主義」「法の支配」「人権」に制限をかけてでも、「資本主義」の是正を図ろうというモノです。当然、これまで「自由」「民主主義」「法の支配」「人権」の確立を目指した先進各国は面喰ったわけですが、これに我が国はどう対応すべきか真剣な検討が必要ではないかと思います。いくら日本が「錦の御旗」を建てても、世界の流れは、後戻りを始めています。

 こうしたアメリカやイギリスの動きを本当は「リベラル」というのだそうで、「ミンナの決めた枠の中で考えない」独自の生き方を選ぶという意味だそうです。僕も日本のリベラルを標榜する方々に同調はできませんが、型にはまった固定観念の中で安住するのでなく、アウフヘーベンした考え方の中に最近急成長しているアップルやグーグル、アマゾンやフェースブックが広がっているような気がして、日本も「型破りな民主主義」「型破りな資本主義」にアウフヘーベンして、「新しい自由」「新しい民主主義」「新しい法の支配」「新しい人権」を定義しなおすことにより、大きく「進化」を遂げるべきではないかと思うのです。 
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