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2018年09月01日00:38

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我闘姑娘~追憶の彼方へ

先ほど、TwitterのTLを見ながら帰宅していたのですが
この訃報には、言葉を失いましたね

『覆面女子レスラー・Rayさん死去 悪性脳腫瘍で闘病も復帰かなわず』
https://www.daily.co.jp/ring/2018/08/31/0011595870.shtml

脳内に「うわぁ・・・・」という言葉しか出てこない
もちろん選手・関係者の方々は、それぞれの思いはあるとは思うのだけど
多分、あの頃の我闘姑娘を見ていた人ならば
私と同じような感情になったんじゃないかな・・・

「Rayさん」「Ray選手」・・・と書くよりも
「零さん」の方が個人的に馴染みがあるので
ここでは「零さん」に統一して書かせていただきます

「零さん」を初めて見たのは
多分、NEOの後楽園ホール
時期的に、我闘姑娘の旗揚げの直前か直後くらいで
さくら、市井舞らと「我闘姑娘」提供試合みたいな感じで
タッグマッチをやっていたような気がします
当時は、まだそれほど「さくらえみ」に強い興味がなかったので
「元川さんが育ててる新人選手」という認識だったかな

「喫茶あかゆ」がきっかけとなり
我闘姑娘を本格的に観戦するようになってから
零さんの試合を何度も見たのだけど
誰よりも華麗に舞い、誰よりも美しく動きはするけど、感情や熱はあまり感じられず
逆に決して華麗ではないけど、感情や熱を表に出していくタイプの
舞やあおいが、リング上の主人公になりがちになり・・・・
そんな「零さん」を心配したのか
さくらさんが新たなパートナーを用意した
零と対になるかのような長身のマスクウーマン流華
比較的クールな零が、熱く戦う流華の熱を吸収し始めて
マスクウーマンタッグ『DAYBREAK』は、その名の通り「夜明け」
零の「夜が明け」これから覚醒していくぞ〜という所で
流華の中の人である未来さんの事故死という悲劇により
タッグ『DAYBREAK』は自然消滅してしまう

そして、さくらが動き出す
我闘姑娘を継続させつつ、新たなプロジェクト「アイスリボン」を考案し
活動させていくことを宣言する
※最初「アイスリボン」は団体ではなく、さくらえみ1人による活動であり運動体だったのです
我闘姑娘は当時、1ヶ月〜2ヶ月に1回のペースで興行を行っており
主に使用していた会場は
板橋産文ホール(現在の板橋グリーンホール)、北沢タウンホール、新木場1stRING等
自前のリングを持っていなかった関係上
基本的には、NEOやJWPが夜興行を行う時の、昼に我闘姑娘が入るケースが
多かったように思います

ただ、さくらの持論として
「新人選手は、いくら道場やジムで練習をしたとしても
 どんな形でもいいからお客さんの前で試合数をこなさないと成長しない」
というものがあり
その「どんな形でもいいから」が、結果的に
リングの無いマット上でのプロレスになったわけで
試行錯誤の過程の中では
「体育館の中で、マットすらない板の間状態で試合を行う」事も
プランニングしていたという(苦笑)

これにより、我闘姑娘=リングで興行を行うが、興行の数は少ない
アイスリボン=マットで興行を行うが、興行の数は多い
最初は、この2本が同時に平衡に走っていた
プロジェクト・アイスリボンが立ち上がってからデビューした選手は
より試合数を経験するべき〜という意味も含めて
アイスリボン所属としてデビューし(真琴、里歩、牧場みのり)
後に「袂を分かつ」ことになってしまう我闘姑娘所属の零さんや春日萌花も
千本桜ホールでのアイスリボン興行や
品川中小企業センターで行われたホットリボン(諸々の事情で主催興行ではなかった)
に参戦したり、あるいはリングアナ等のサポートや手伝い等をしてくれていた

そういえば、何回目かの品川中小企業センターでの試合で
零さんが青竜刀の演舞をしながら入場した時がありましたね
あれは、普通のリングでの試合でも披露してよかったのでは〜と思った事もありましたね
ただ、零さん自身はロープが無い、コーナーから飛べない環境下での試合に
やり難さを感じていたのも確かだったようで(後述します)

(続け)
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