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2018年07月16日23:37

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Go for Broke!

「マサ斎藤さんが死去 アントニオ猪木氏と巌流島で死闘」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180716-00000025-tospoweb-fight

関連記事です
「マサ斎藤さん訃報に長州力ショック「言葉が見つからない」」
https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/1065424/

今日は夕方、ガトム@市ヶ谷の観戦を行い
その帰宅途中、TwitterのTLをチェックしていたら
マサ斎藤さんの訃報があり、驚きました

マサ斎藤・・・・・・
私が記憶しているプロレス中継の最も古い時代
長州軍のナンバー2として活躍し
1987年10月4日、アントニオ猪木対マサ斎藤の「巌流島の戦い」は
テレ朝で特番が組まれ放送され
ドキドキワクワクしながらテレビを見ていた事を覚えております
(当時はまだプロレス週刊誌などを読んだりしていなかったので)

私が、本格的にちゃんとプロレスを見始めた頃には
マサ斎藤は橋本真也とのタッグで、IWGPタッグ王者になっており
この当時の新日本は
ビッグバン・ベイダー、クラッシャー・バンバン・ビガロ、スコット・ノートン
らのスーパー・ヘビー級のガイジン選手が揃っていまして
タッグマッチや6人タッグで、彼らを迎え撃つ1人がマサ斎藤で
ナックルやチョップ、キック等の重い打撃をくらいながら
身体を震わせながら鼓舞し、鬼の形相で立ち上がり
バックドロップを決めて見せる・・・・という一連のムーブは
今見ても、本当に「絵」になる作品なんですよね

程なくして、引退したわけじゃないけど解説者として席に座る事が多くなり
おそらく、私より下の世代のプロレスファンは
マサ斎藤=流量な英語を話す解説者・・・というイメージなんじゃないかな

1999年2月14日に行われた日本武道館での引退試合は
見に行きましたよ
vsスコット・ノートン
実質的に、ほぼ2年ぶりのリングなのに
身体は見事に作り上げてきましたね
この引退興行での記念Tシャツ「Go for Broke!」Tシャツは
今も大切にしまってあります
そうマサさんの大切な言葉「Go for Broke!」なんですよね・・・・

新日本を辞めて、WJのスタッフ入りした直後に
パーキンソン病に侵されてしまい・・・・
今、YouTubeで「マサ斎藤」で検索すると
トップに2016年に行われた激励イベントでの動画が出てくると思うのですが
普段は車椅子で行動し、リング上で立った事自体が奇跡だ
・・・・そんな美談のように語る人もいますけど
全盛期の「マサ斎藤」しか知らない人は
見なくてもいいような、見ない方がいいような気もしますね・・・・・・・

最後に猪木の追悼コメントを
「マサ斎藤選手の訃報に接し、心より哀悼の意を表します。
 思えば斎藤選手とは、東京プロレスからの長きにわたるご縁であり、巌流島での2人だけの決闘は忘れることができません。
 私のライバルとして、五輪代表選手として、尊敬できるレスラーでした。
 ご苦労さまでした」
http://news.livedoor.com/article/detail/15020388/

合掌

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