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2018年05月26日11:47

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高師直塚

先日、用事で伊丹へ行ったのですが、そこから高師直塚へ足を延ばしてみました。

JR伊丹の駅からバスで15分程いって昆陽里北で下車。

降りたはいいものの、どこにあるのか分からない。
先達はあらまほしきもの、近くの方にお聞きすると、バス停からほんの50mほど行ったところにありました。

高師直は足利尊氏、直義の執事で、特に初期室町幕府を軍事的に支え、発展に大きく貢献した人物。
だのに、後代、悪人の代名詞みたくなったのは仮名手本忠臣蔵の影響が強いそうです。
太平記においても、ずいぶんの行いをしていると評されますが、それは別に師直一人に限ったことではなく、他の武将たちも多かれ少なかれ同様の行為を行っているのです。

塩谷判官高貞の妻に横恋慕し、なんとか気を引こうと兼好法師に艶書の代筆させたが、まったく取り合われなかったので、兼好は出禁。有名な太平記の話ですが、実際にこのようなことがあったのか、まったくの創作なのかは意見の分かれるところです。
史実として、兼好法師が、師直の式典の服装について、洞院公賢に質問に行っているので(『園太暦』貞和四年十二月二十六日)、実際に師直と兼好に関係があったのは確かなようです。

観応の騒乱前半戦、摂津国打出浜の戦いにおいて尊氏・師直軍が直義に敗北し、京へ護送中、上杉能憲らによって師直と一族が殺害されました。
その場所ははっきりとはわかならいですが、いつしか周辺の村に塚がつくられたのだそうです。
その塚も耕地拡張にしたがって移築され、また近代、道路の拡張で移築され、今日の場所へ移ったのだそうです。


バス停を降りて、近くのお店の方に「高師直塚って、どこにあるのでしょうか?」とお尋ねすると、「そこ曲がったところ、ちょっと行くと、誰のか分からないけど塚があるよ」と教えてもらいました。

道の横にひっそりとたたずんでありました。
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