ツイッターからメモします。
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トビ
学校改革0→1
@innovation9019
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ホリエモンはじめとして、学校が必要ないって言ってる人は優秀な人が多い。
頭も良いし、自分達で学べるから、必要ないのかもしれない。
でも中には学校に来なければ学べないような環境の人がいるのも事実。
そういう子達が、興味関心を持てる学びを提供することが学校教育の改善に繋がると信じてる
◆
(超耳)
同感です。
自ら学びを続けられる人は多くない。強制されないと学べないのはいわば「普通」のことです。
たとえ強制されたものであっても有益であるほうがいい。そして主体性につながりやすいほうがいい。そして有益ではない部分があっても主体性につながらない結果になったとしても否定されなくていい。
それくらいでいいのじゃないでしょうか。
社会は個人が支え合って成り立つんですから。支える側としても参画できる社会のほうが健全ですから。
強制というやさしさを、学校がなくても学びつづける人にも、どうか今までどおりに持っていてほしいなあと願います。
>中には学校に来なければ学べないような環境の人がいる
もしかしたらこの方は家が騒々しくて学びの環境にない人みたいなことを想定されているのかもしれません。「環境」って言っているから。
「環境」が整えば整うほど、学ばない怠惰が浮き彫りになってしまう図式も世の中にはあるのです。おそらく現代日本のほとんどの家庭がそれに当てはまると思います。
その気になればいくらでも勉強時間を作れる。そういう家庭が大部分ですよね。
自らの怠惰ゆえの不出来という、恐ろしい自己評価の影からけっして逃れられない。
学校だのなんだのという強制が、逃げ道を用意してくれる効能もあります。「もっと自分のペース(自分では決して学ぶことはないのだけれど)で進めてほしい」みたいに不満を言うことで、「自分ばかりのせいではない」と不出来の責任を分散することができますよね。少し気が軽くなる。
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