愛犬を亡くした方の話をメモ。
でも愛犬の話というより……承認欲求がダダ漏れの人の話に思えます。なににつけても自分の話しかしない。
https://petomorrow.jp/news_dog/103217より
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犬が死んだ朝
「いつまでも泣いてるんじゃないよ」と言われて、思わず彼の顔を見てしまった。こんな人だったっけ?優しくて、思いやりがあって、素敵な男性だと思っていたのに。
「せっかく元気づけてあげようと思ってこの店を取ったんだよ?なのに、なんで涙ぐんだりしてるの?」いきなり怒っちゃってる。私はびっくりして食べ物が喉を通らない。だって、うちの子が虹の橋を渡って、まだ一週間しか経ってない。何をしてても思い出すんだよ。
レストランで分厚いハムが前菜に出てきて、うちの子がハム好きだったのを思い出した。それでつい「このハム、すごく美味しそう」って言った途端、涙があふれ出てしまったのだ。
「ごめんね、ここ、すごく美味しいって聞いてて、来たかったから嬉しい。ありがとう。あんまりハムが美味しいから、つい涙が出ちゃった、嬉し涙」へへっと肩をすくめて見せた。彼はちょっと機嫌を直して「だろ?だから、犬のことで、もう泣くのやめろよ、いつまでも引きずっててもしょうがないだろ」と追い打ちをかけてきた。もうダメだ。
「そうよね、ごめんね。でもどうやってここ、予約取ったの?よく取れたね?すごいじゃない?」彼が喜ぶ言葉をあげた。僕スゴイの自慢話は尽きることなく、私は適当な相槌と「ホントすごいね〜」「で、どうしたの?」「それで?」でやり過ごした。食事中に私の心はどんどん冷えて行って、最後のデザートで氷点下まで下がった。
(略)
◆
(超耳)
どうしてそんな人が出現するのか、それが気になります。
そして、もしもの話を考えます。もしも、承認欲求ダダ漏れの人が十分な実力や魅力を備えていたなら? バランスが成立するのでしょうか。「認められたい」気持ちのサイズと、「あなたを認めます」という評価のサイズが釣り合うものでしょうか? 実力なり魅力なりがあまりにも足りないのでそうなっちゃっているのかもしれないと思うので。その場合は実力なり魅力なりをアップすれば解決ですよね。
私の知る承認欲求ダダ漏れの人は、いわゆる末っ子タイプで、贔屓されてなんでも優先して与えられた人でした。労なくして得るのが当たり前だという負の学習を与えられた人でした。親によって醜い人格を伸長させられたんですよね。
たぶんそんな感じで、労なくしてリターンを得られた幼少時代のせいで歪んだ人は多いのじゃないかなあ。子供は小さなリターンで満足しますよね。百円もらっても嬉しい。お菓子が買えるから。でも大人は違うわけです。百万円の買い物をしても大して自慢にならないことだってある。老いた親は「車を買うから五百万くれ」と言われても出せないわけですけれど。幼少の頃に得たお手軽なリターンのせいで、ちょっと親にいいところを見せればポンと与えられるような、それが世の中の当たり前の道理だというような思い込みがあるんじゃないでしょうか。
親だけが悪いわけではないんですけれどね。自分で自分を祖だれてればなんでもない話です。子供が褒めてもらえるような小さな努力では、もう褒めてもらえないんです。どうして学ばないの?
みじめに老いて、誰からも相手にされずに孤独に死ぬだけの人生を選んでしまう人たち。
どうすれば、どの時点からなら、変われるのかなあ?
個人的には、気付きさえすればいつでも変われるし、その後の人生を好転させられると思うばかりなんですけれど。
凡百の能力や人格しか持たぬのに自分の話なんかして、他人が価値を認めるとは思わないでしょうに。他人のことならまったくそのとおりだと思うでしょうにね。
やっぱりオススメは承認欲求に見合った能力や魅力を獲得する努力をすることかなあ。
少なくとも、努力を今まさに継続している人に対しては、他人も好奇心を抱いてくれるし、わりと手軽に「いいね」「すごいね」と言えるものですよね。よくもなく、すごくもない人が自慢をしても鼻につくだけなんですけれど、それに近づこうとしているのが見えるのなら、応援したくなるのが人情ってものだと思うのです。
承認欲求のモンスター道を極めた達人はすごいですよ。
ダメ人間自慢を始めますからね。
みんなから「こいつは本物のバカなんだな」と思われる道を、選んで好んで邁進するのです。こういう手合は、じつはわりと珍しくもありません。
他人に対してなら、「こいつバカだな」って思うんでしょうに。
ダメ話なんか聞きたくないんです。誰も。
友人にたまに愚痴るくらいですよね、人間らしい弱さだなって思える限界は。それだって相手に負担を敷いている自覚がないならダメですけれど。
メモした記事なんですけれど。
>「いつまでも泣いてるんじゃないよ」
一週間経ってもメソメソしている相手に「そろそろ俺のことも構ってよ。こっちも生き物だから辛いよ」というメッセージを言いたくなる彼氏の気持ちもわかります。
記事を書いた女性は「自分の気持ちをわかってくれない」という愚痴を言っているのですが、「私は相手の気持ちなんかわかろうとしないけど、相手にはわかってもらいたい」という図式になってしまっていますよね。彼氏も悲しい気持ちを否定しているわけではなく、「泣いている」という行為を控えてほしいという要求だし。
どうして、この手のトラブルを抱えている人たちって他人のことは「私の気持ちをわかってくれない」と感じることができるのに、「私は相手の気持ちをわかろうとしない」という事実には目を背けるんでしょうか。考えないの? ヒトなの?
って思う気持ちも、抱きました。
承認欲求がダダ漏れの男性と、「私の気持ちをわかってほしいが相手の気持ちをわかろうとしない」という女性。どちらも学びが足りないので、どこへ行っても誰とでもトラブルがつきまとうんじゃないかなあー。
なぜ学ばないんでしょうね。
>「そうよね、ごめんね。でもどうやってここ、予約取ったの?よく取れたね?すごいじゃない?」彼が喜ぶ言葉をあげた。
承認欲求が強すぎる彼氏は、一週間も「おあずけ」されていたのです。
エサを一週間与えなかったイヌにエサをやる感じで、こうして彼にほしかったものを与えたんですよね?
イヌには思いやりを持つことができる人が、ヒトに対しては餓死直前まで放置するのは、まずいなって思うのです。イヌにエサを与えたときのように温かい気持ちで与えればいいじゃないの。彼氏はまだ生きているのですよ。
周りの誰からも指摘してもらえず生きてきた人。書物でもネットでも学ぶチャンスがあるのに学ばなかった人。
どうしてそうなのかなあ。
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