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2020年07月07日00:32

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姫路城、池田恒興、池田輝政

なぜ弟信勝は織田信長を殺しにきたのか【信長の復讐。親は敵、兄弟は第一の敵】弘治3年(1557)11月2日弟信勝、清洲城へ信長の見舞いに行き、清洲城北櫓天主次の間で信長の命を受けた河尻秀隆、池田恒興らによって暗殺。信長を謀殺しようとして返り討ち、信長の目の前で自刃
【姫路城】池田輝政、信長の家臣、池田恒興の二男。織田、豊臣、徳川に仕える。
慶長5年(1600)天下分け目の関ケ原の合戦で軍功をあげ、家康の娘婿でもある池田輝政が播磨一国52万石の大大名となって姫路城主となって築城。池田輝政は大坂城と豊臣恩顧の西国大名に備えるため、家康の支援の下、慶長6年(1601)から姫路城の大改築に着工、慶長14年(1609) 完成。姫路城は城郭建築の技術の粋を結集、五層七階の大天守と三層の小天守が連結した本丸、二の丸、大規模で防備と造形美を兼備した名城。
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