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2019年12月16日00:38

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宮澤賢治、輝く天の仕事 藝術家と運命の戦い

宮澤賢治、輝く天の仕事 藝術家と運命の戦い
天に仕える仕事
宮澤賢治(1896—1932)は、詩人の魂を生きた。生の糧を得るよりも精神の糧を求めることに生涯を生きた。
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藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。*大久保正雄『藝術と運命との戦い』
大久保正雄『藝術家と運命の愛』
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よい師に出会うことは人生において重要である。だが、求めて優れた師に出会うことはまれである。どんなに絶望的な状況でも、知性をもって、戦い続けることだ。『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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宮澤賢治の生涯は、苦しみとの戦いの人生である。10代、生まれついた家の悩みは短歌で癒した。20代、仕事がうまくいかない苦しみは童話で癒した。そして最愛の妹を失った嘆きを詩で癒した。賢治は、他者の目を気にせず「好きなこと」に閉じこもることで、不安や孤独を生きる力に転換した。
10代、生まれついた家の悩みは、貧しい人を食い物にする家業、質屋を営む父との格闘である。貧しい人の物を買い売る仕事を嫌った。20代、23歳の時。仕事がうまくいかない苦しみは、童話を創作して癒す。父との対立に悩む。農学校教師につく(大正10年から14年)。
1922年、生涯で売れた作品は「雪渡り」二、だけである。生涯唯一の稿料、五円。★
賢治27歳の時、妹トシ、25歳で死去。妹の死を、詩の創作で癒す。妹の死をいたむ3作品を書く。30歳から31歳、1926年8月から翌年3月までの約7ヶ月、羅須地人協会を営む。闘病。37歳で死す。
「正しく清くはたらくひとは、ひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。」『マリヴロンと少女』
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作品
1924年、『春と修羅』自費出版、イーハトブ童話『注文の多い料理店』刊。『銀河鉄道の夜』初稿。賢治28歳
1925「告別」『春と修羅、第二集』
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参考文献
宮澤賢治 光輝く天の仕事 美への旅
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-7170.html
佐藤泰正編『宮澤賢治必携』『別冊国文学 No.6』学燈社1980
『国文学 解釈と教材の研究 特集 宮沢賢治を読むための研究事典』学燈社1989年
『国文学 解釈と教材の研究 臨時増刊号 宮沢賢治の全童話を読む』学燈社2003年
天澤退二郎編『宮澤賢治万華鏡』新潮文庫
天澤退二郎『《宮澤賢治》論』筑摩書房1976
『先人たちの底力 知恵泉「宮沢賢治 “好き”こそ苦しみと生きる道」』NHK
島薗進「ファンタジーと宗教 宮澤賢治の悲しみと信仰」2017
https://t.co/JxuRLINEd8
山内修『年表作家読本 宮澤賢治』1989
【質疑応答】島薗進×大久保正雄「死生学 人の心の痛み」
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-b6d6.html
島薗進×大久保正雄「死生学 ファンタジーと宗教」ソフィア文化芸術ネットワーク
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-8f05-1.html
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