僕自身はTRPGを10年ほど離れていた時期がありまして。復帰した時にその進化に目を見張ったものです。
そして戻ってきた時、幸いだったのが、同年代で僕が遊んでいなかった10年分を遊んでいる人がいたと言う点。
同年代だから感性が近い、けどキャリアが長い。
僕はこの人達に最新のゲームシーン事情やら「何故今、こんな遊び方に変わったのか」ってのを根掘り葉堀り尋ねる事で急速に「今」の遊び方を身に付けていった訳です。これは僥倖と言って良い。
さて、その「今」の遊び方に顕著な点ですが、僕が思うに、「出来ない人」に向けて作られている事。
昔のゲームシーンってのはゲームへの適正、発言権の強さ、とんち。
まあ言わば口プロレスも含めて、出来る子が主人公ですよ。(旧版SWバブリーズリプレイのスイフリーなんかは顕著ですよね。GMもスイフリーがいるものとして難易度設定してますし)
最近でも話題に挙がった案件として、「説得技能を持たないPCがPLの口車だけで説得成功しちゃって、説得技能持ちが割りを喰った」ってのがありましたな。
「もう、アイツだけで良いんじゃないかな」ってヤツです。
↑この「アイツ」が卓参加者全員だった場合、とんでもない破壊力を持つけど、そうじゃない場合、プレイヤーの地蔵化やスタンドプレーが発生する。
これが僕の持つ、昔のゲームシーンへの印象です。
だからって口下手なプレイヤーは交渉系のPCをやっちゃダメなのかい?
さあ見せ場! って所で横から出番を奪われて楽しい訳がないじゃない。
TRPGツマンネ。
そういった不満に応える形で「シーン制」や「情報収集判定」などのルールが洗練されていった側面もあります。(それだけではないですが)
なるべく参加者全員が楽しめるよう、システムがサポートする。
僕はこういった流れをシステムのバリアフリー化と呼んでいます。
TRPGはみんなで楽しむものと言う観点で考えるならこの進化は正しい。
出来ない(苦手な)部分をシステムの洗練に任せて自分が楽しみたい部分を最大限に遊ぶって言うスタイル。
それに合わせて「上手い」プレイヤーの条件として、対人面がより重視されるようになりました。
そこまで考えてはた、と思い至る。
では「昔のゲームシーンは間違っていたのか?」「昔の遊び方は楽しくなかったのか?」と。
そんな事はないんですよね。ルール通り遊んで、それが出来る人と出来ない人の差が顕著だっただけです。
なんせ情報が少ない時代でしたからね。
昔の遊び方だって、ちゃんと楽しむ事が出来ます。
となると僕がこの日記で使っている「進化」って単語は不適切なのではなかろうか?
今のゲームが進化の先端で、昔の遊び方をするのは退化だって言うのは違います。
断じて違います!
昔の遊び方のまま現代でも立派に遊ばれているじゃないですか。クトゥルフ神話TRPGなんかは良い見本です。(当然、そこに新しい遊び方を導入して遊んでいる人も多いですね)
より適切な単語を探したところ、「追加」がしっくり来ました。
TRPGと言う遊びに色々な概念、遊び方の提案が「追加」されていく。それはカードゲームの拡張セットのように。
拡張カードが追加される度、環境は劇的に変わって行きますが、遊んでいるのは同じカードゲームに間違いありません。
どこからどこまでのカードを採用し、どういった遊び方をするのはそのゲームを遊ぶ人達が決めますし、それでお互いが納得しているならそれがその中では正しいのです。
TRPGにおいても。
日々追加されていく遊び方の提案や概念をどこまで取り入れるか、と言うのはその卓内で決定されます。
例えば僕がクトゥルフ神話TRPGでKPをするのと、他のKPが遊ぶのでは、同じシナリオでも別のゲームくらいの差が出るでしょう。
それは何を追加し、何を棄てているのかの差となりますが、両者とも「楽しいセッションをする」を目的としている限り、両者は正しいのです。
GMによってもシステムによっても環境は変わります。いつもとほとんど同じ感覚で遊べる卓もありますし、自分の知っている遊び方とはかけ離れた卓に入る事もあります。
どんな卓に入っても、その卓毎の遊び方に対応出来るプレイヤーってのは、憧れますが難しいですね。今の僕の実力ではまず無理ですw
以上が先日Twitterで発生した「補助輪」関係の話を流し読んで思った僕の意見です。
TRPGってのはコミュ強の為のゲームだ、って言われてぐぅの音も出ませんでしたが、僕含むコミュ障が未だにちゃんと楽しめるのは先人達の頑張った結果なんですよね。
今までの30年。これから30年。
いったいTRPGはどうなって行くんでしょうねぇ。
(ここから余談)
さて。
僕はTRPGの歴史の潮流を「追加」と言う単語で纏めました。
これを「進化」の歴史と捉えた時、何が起きたのか?
論争が起きました。
まあ、自分達の遊び方が進化の結果! お前達の遊び方は古い! ってマウントを取れば、そらもう戦争よ。
一時期、そこかしこで論争が火花を散らしていた時期がありました。
論争の成果もあったと思いますが、世代間の溝も深まったような気もします。
論戦は相互理解の手段にはならないですね。そもそもセッションで実地で見せないと納得しない案件が多いので、論争しても互いに納得しないじゃないですか。
この時点で当人達にとって意味がない。
こんなのでマウントを取っても貰えるのは尊敬ではなく反感です。
真に必要なのは意見交換です。
Aの意見もBの意見も等価として扱い、交わる事が不可能だと判断したなら距離を置いた方がお互いのためです。
それが趣味というものであり、社交性というものなのだと思います。
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